問われる心のあり方ーどうしたいか?どうありたいか?

これから数回にわたるメッセージは、私たち人間の生き方、心のあり方を問うものである。平和、環境、健康、平等、自由という美辞麗句が掲げられながら、まったくの逆方向に突き進む私たち人間社会で、一人一人はどうあるか? どうしたいか? という問いが続く。

 

どうしたいのか?

 

――これから私はどうしたいのかといったら、気持ちの良い美しい自然と地球の中で、楽しく幸せに生きていきたい、それだけなんだけど…。

それだけでいい。

宣言して、じゃあそこに行きつくには何をすればよいか?

どうできる?

そして思い出すものは何か。 

――なるほどね。やっぱり突き付けられてますよ。

時間、時、お金、(これからも)変わらない。

そして、使う、使わないではない。

身ひとつで人間としてのあなた方はどうするのか? どうしたいのか?

――ひとりひとりが。

そう。

 

私たちは常に見守られている

 

そしてひとりひとりは(なにがしかの存在から)常に見られているし、守られているし。

堂々と、やればいい。

愛が揺らぐことは、ない!

怯える時間はない。 

――もう、1分1秒を争ってという感じなのかな。以前、何かの時に、宣言すればいいんだって、言葉というか、思いというか。私はこうするって宣言すればいいって。それで何をするとか、ではなくて。

ひとつひとつ、生きればいい。生かせばいい。

――私はこういう風に思っている、こうしたいんだという宣言をした、ということが重要であって、何をしなきゃいけないかは。

(そうすれば)空間が、動く。

空間に動かされるのではなく、空間を動かせばいい。

――なんたって、これは「地球民のお話会」だし。かなり以前に、地球の真ん中にいるのは君だっていって、それは怒っているのではなくて、いっしょに成長しようとしていると。ともに、幸せになりたいと。

(生きる人間とともに)経験をしたい。そして共有したい。

――それも含めて、サイトの名前に地球と入れて、この会を続けているわけだね。

そしてそのものを見ている者たちも、力になる言葉があるかもしれない。

―― 一緒に頑張ろう! われわれさん達。

そこの部分で、このサイトを見た者も、種をまける。

――やはり小さくてもサイトの発信って大きいよね。あまり大きな規模で発信すると怪しくなるから(笑)。

「知る」ということは知らぬということからの脱却であり、もう知らないという所には戻れない。

それは真実だ。

そして真実と現実は違う。

現実というのは、ただ単に、いろんな事柄がからまりながら流れていく。

真実って、自分の感情が入るんじゃないかな?

だから、見え方が違う。

――それぞれ個人にとっての真実というか?

コップを見るのか、珈琲を見るのか、置いてある台を見るのか?(によって真実は違う)

(続く)