2015年からの3年

これからの時代は変革に満ちたものになるといわれているが、実際のところどういった心構えがいるのだろう。少し抽象的なところもあるかも知れないが、自分自身で思いあたることに照らし合わせてみると腑に落ちるメッセージがあると思う。

 

自分で見極める目を養う

 

それは世俗と政府の部分、人々の意識の流れが変わってくるのがこの3だね。

例えば、建物(=建築)に関しても、子供を養育することも、男女、性別についても変わっていく。

(すた)れるものと残るもの、昔あったものが言葉を変えて出てくるものもあるだろうし、新しい病気とか治療法とか、それぞれ個人個人が選別する3年だと思うよ。

薬にしても、それからたとえば整体という身体を調節する事柄にしても、それを見極める目をつくるのがここ3年だと思う。

それが少しずつ目に見えてきているから、テレビで情報を得るよりも気になった情報があれば可能な限り、自分で動いて、聞いて、見て、触って感じてほしい、自分なりの答えでいい。

それをまだその情報に気付いていない人に自分なりの方法で伝える。それぞれが、自分がスタート地点であるよ、同時にゴールの地点であるよ、という認識をもつ3年になる。

――良いものも悪いものも出てくるの?

その「良いもの」という感覚や選別選択、悪いものと見える(という)選別・選択良いとか悪いとかの観念が変わってくる。もともとの土台の違いを見極める必要がある。

 

自分の経験上の悪いと思うこと、良いと思うこと、思い込んでいたこと、これから思うかもしれないこと、ニュートラルにいたほうがいいんだ。

ジャッジメント(=判断)をするわけではないから、選別はジャッジメントとは違うので。

カテゴリーは多いほうがいいかもしれないけど。

絶対という事柄はないと認識していた方が自由だと思うよ。

――そういう意味でニュートラルがいいんだね。

だからこそ、年齢が上の方々は経験があるから、あらためてわからないことや、知らなかった事柄が出てきたら、年下の人たちに指摘をされるとどうなるか、想像できると思うけど()?。

そこはスっと自然に知らないことを(教えを)請える人間の方が生きやすい。

相手も知らないことがあるだろうから、スっと伝えられる。教えるのではなく、伝えられる。

そして伝えたら、相手に選択権を渡す。そういう目をもっていると今後生きやすいし、伝えやすいと思うよ。

そうすると、怒ることが少なくなる。喜びが増える。知らないことを知ることができる。

ただし、知ることは行動することではなく、知ることは知ることであって、行動したときにはじめて自分のものにできるんだ。

――相手の言っていることではなく、行動を見なさいとよく言われたよね。

そう、言葉は美辞麗句だったりして、(行動、真実を)隠してしまう。

本人がその気がなくても。相手が経験をしていたら、それを見つめることができるけれど、経験をしてなかったら、それを見つめることができない。

ただ拘(こだわ)らない。それができるようになると、自ずと自分の行動や見方が変わるから。

この中で気を付けなければならないのは現実と真実は違うということを頭に入れておいた方がいい。

現実はジャッジメントしない。ありのままにそこにある理(ことわり)。真実は自分の経験の上での真実。例えば良い悪いを選択するのも自分だしね。

――「真実」という言い方をすると、普遍的なものだという認識をしがちだけど。今言っているのは自分の中の真実。目の前の現実と自分の真実は違うから見なさいということ?

そうです。

そのズレを怖れないこと。そうするともっと普遍的な真実の端を垣間見ることができるよ。

それと同時に、あなたがたが行動をしようと思った時がその時だと思うことだ。

一分一秒違えずにその時が来たと思うべきだ。

その瞬間、自分自身の感覚を100%信じることができるよ。

――逆に100%自分自身の感覚を信じることができないと、その時に動きにくいよね

その時はすべての人に平等に訪れる。

一分一秒違えることはない。

だからすべての人は完璧だ。

――だとしたら、私なんか、とか、迷っちゃうとか言ったらもったいないか。

回り道をしたい人もいる。経験をするために。ホントはそれを恐れていて、そこに辿り着きたくないのに過程の旅をしたいので追い求める人は多いよね。

――厭味ったらしい言い方だね(笑)。

今までの人はそういう人が多かった。

でもこれから出てきている(=生まれてきている)人たちは本当に自分自身を知りたいという人、理(ことわり)を垣間見たいという人が多くなったように見える。

――先ほどの解説をすると、すごいものを追い求めている自分がいいと思っている人たち、でも最終的に行きつくのは自分自身を見なきゃいけないところなんだけど、それは怖いから逃げている人たちだ。

本当は辿り着きたくないんだ。だから言い訳をしたり、そことは違う答えを求めて、その違う答えを言ってくれる科学者とか、大学の先生とかそういう人たちのところへ行くんだ。

――自分探しをし続ける。

「自分探し」といった時点で自分がいないんだよね。

そういう人に「あなたはそこにいるでしょ」と言うと、その言葉は聞き逃すんだ。

そこにそのままあることが真実なのに、その場所にいてもいないと思い込んでるので、行動しているのは自分なのに、歩いているのは自分なのに、こちらにいると思えば行き、あちらにいると思えば行く。でもいないから永遠に続く。

その旅自体はおもしろいんだ。でも、答えを知ってしまえば旅が終わると思い込んでいる自分がいるんだ。新たな旅が始まるだけなんだけど。

――フラフラしているのを自分探しの旅と言ったらカッコいいしね。

自分探しをしている人に赤ちゃんをみせてあげるといい。赤ちゃんはただそこにいるから。でも、それでも耳を通り抜けるんだろうけどね。

自分の見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かないから。でもそれが難しい世の中になっていっている。人間はそういう人であろうとどんな形であろうと好奇心を止めることはできない。

――自分自身を探すというのも好奇心?

反面、自分ではない自分になりたいというヒーロー願望だろう。正当に評価されていないと思い込んでいる。

正当に評価できる人がいるのだろうか。自分自身を正当に評価できないのに、人が正当に評価できるわけがない。

どういうレベルの評価が欲しいか。

弱さとか、果敢なさとか、穢れとか、清らかさとかを自分自身の中で厳しく選別している方はおられる。でも往々にしてそういう人は謙虚だ。

――条件付きだったら、評価できる。もしこうだったら、自分を認められるとか。

だから、そうなれないと絶望する。絶望は希望の種だけどね。

――ここ三年で変わっていくというのは皆感じている。その前にこういう勉強ができるというのはいい。今の若い人でもレベルの高い人もいる。そういう人の言うことを謙虚に聞きたい。

どこを持って大人とするかを今一度検討するといい。

昔は働き出したら、半人前とか、でも大人とみられる。

――自分自身で選択ができ、責任を持てるのが大人…だとしたいね。

自分の中の一つの選択肢をみるためのものとして、考えてみると見やすい。選択するときに大人、とか子供とか。働かざる者食うべからず。

自立できないでいる人は前からいたが、それが見えてきたから、考えてみるといいよ。

――昔は書生さんとかいて、結構よかった。ある程度社会が認めていたのかな?仕事を辞めて何もしないでいることが不安だという人がいる。所属がないと不安なんだ。

どこに自分をおくのか、自分のアイデンティティーは。定年退職をした人がその後迷ってしまう。

仕事を本当の意味で一生懸命やっていた人はすんなりと行くんではないだろうか。

仕事を逃げ道、口実にしていた人は苦しいだろうね。

今の男の人は暇を遊ぶことを知らない。

――定年退職後が長い。その人たちはある意味、「資源」。今この会で勉強していることはそういう人に入っていかないかな。

やっている人はいる。若い人でも入っていく人はいるね。

(2014年11月)

 

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