後半のページを更新(1月28日)。
寿命というのはそもそも決まっているのか? という素朴な疑問。これまでのメッセージを踏まえると、生まれる前にすでに寿命とミッションはある程度決まっており、その中の細かいことは人生の中で変わっていくようである。私たちが日々生きる上でのヒントになるだろうか。
自然災害などが起こった時にどうするかは、それをまず「現象」として捉えるという話があった。(災害、事件などに酷い、可哀そう、といった感情をすぐ乗せるのではなく)現象として捉えるということ。その場にいる縁、いない縁、それを見る縁、見ない縁という[…]
――私たちは、何となく寿命が決まっているんですか?
もちろん、決まってないものはないし偶然はない。
ただし、偶然に見える必然の中で、どこのタイミングで誰と会うかは決められる。
例えば、駅、ステーションに何時に行きます、ここで誰かと巡り合います。
でも選択もできる。
10分遅らせれば会えない。
――それって無意識にやるの? 最近やたらと偶然に人に会うんだよね。
――そこで出会う人って決まってるの?
もちろん。
そしてそこで出会うのか、あとで出会うのか、もっと先で出会うのか、そういうこと。
会うことは決まっている。
例えば、Gさんが会う人の人数は全部決まっている。
(そこにいる人をそれぞれ指して)全員決まっている。
ただしどう会うのか、その中の部分で会えないのか。?
――会ったとしてもすれ違うとか…。
そう!
――だから袖すりあうくらいなのか、がっつり出会うのかってこと。
――電車の中で、だけでも会うんだよね。ちょっとぶつかってすみませんとか。
だからこそ、縁というのはおもしろいもの。
あらがえぬものだ。
――そこにはまり込むと、なんでこの人に会っちゃったんだろうって思うよね。
学び以外の何物でもない。
お互いの。
その人がその時代、その時に存在していることを認識できるのかどうか。
それだけでも違う。同じ時代に生きるということがとんでもないことだからね。?
――(あなたが)なんでここにいるのって突っ込みたくなってきた!!(笑)
呼ばれたから。
そして選択をしたから。
――そうだね、お互いに。
もちろん、そしてこの空間も含めてね。
――へえ、なるほどねえ。寿命が決まっていても…。
寿命が決まっていても、「余暇(よか、漢字は不明だが余暇としておく)」?というものがある。
人を手助けします、例えば地球の中で、科学のジャンルですごく貢献して人をたくさん助ける人材かもしれません。
そうすると「チェンジ」と言って余暇を使って寿命が延びる場合がある。
逆に大量虐殺するかもしれませんというので余暇が無くなる場合もある。
そういう特例はあるよ。
その時代その時代、時代が変わる時に、坂本龍馬しかり、織田信長しかり、いろんな人材。
(続く)
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