生まれるというミッションは放棄できない
――以前、新興宗教の信者で思考も依存してしまった人は死んでから大変だという話がありましたが…。
大変だね。
死んでからどうなるかといったら、寝込むんだよ。
真実を見たくないから、寝ていて起きたら復活してます、と信じるから。
信じたいものを信じるんだよ、まず。
それでずっと寝ているわけ、でも無限にある(=眠りが続く)ものだから目が覚めるわけだ。
――イヤでも見なきゃいけない時が来るんだね。
もちろん。
そのタイミングやリズムはその御方々に合わせるけど、逃げられはしない。
自分で作ってしまったもの、その経験が今、その方々にどのような学びをもたらすのか、またはもたらさないのか。
それは見てみないとその人は判断できないでしょ。
その人の人生はその人のものだから。
――そのあたりはあの世ではものすごく厳密にあるわけなんだね。例外なんてないんだよね?
例外はない。
――その人の生まれてきたミッションというのは?
その人が担当者(=守護霊など)と決めてくるわけだから、誰一人として一人で生まれる訳がない。
――そのミッション(=人生でのミッション)を放棄しちゃったから?
放棄もできない。
放棄したと思い込むことはできる。
依存してその依存の中で何を学びましたか、その人に尽くしてどういう経験をしましたか、になる。
――なるほど。じゃなかなか大変なんですね。
ですよ~。ただそれをちゃんと見つめてやった時に、「あ、自分は本当はこうしたかった、こうだったんだ」と気がついて生まれ変わってくる。
――また、生まれ変わるんですね?
おもしろいのは、もう二度と人間なんかに生まれるもんか~っていう奴ほど早く生まれ変わるなあ。
担当者がかわいそうだなあ。
――そうなんですか(笑)。それは自殺者にも言えるんですか?
(続く)
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