自分の選択には罪悪感を覚える必要がない
罪悪感、許すこと
(自分の感覚というのは)今まで養ってきたものだから。
そこの部分でそれぞれ個々が、選択したものに対して、しっかりと受け取り、受け渡し、罪悪感を覚えないことだ。
休むにしても、仕事をするにしても、仕事を変えるにしても。
休むときは、じっくり休む、仕事するときは仕事する。
――自己責任と、悪い意味ではなく、個人主義になってくるね。
そしてそれはとても良いことで、なるようになるし、そういうときの人間というのはなるようにするでしょ。
それがOKサインも、了承サインも出ているんだから、自分のテンポ、リズムを大事にしてやっていけばいいだけのこと。
そこにはいろいろな思惑が立ち入る隙は無いわけだ、自分が決められるからね。
――他人に立ち入らせる隙を作るなと。
(笑)そうするとまた周りがそれを精査して答えを出すでしょう。
――会社の小さな話だけれど、フレックスタイム制みたいなもの、自分で決められる。昔は無かったものですね。
そしてそれを、許す。
人間の一番の問題は、
罪悪感を覚えないことと、
許すことを許すことが苦手なんだよね。
――そうですね。男なんか午前中にふらふらと商店街を歩くのすら、なんとなく後ろめたかった。コロナ前まで。それってこの時間は仕事してなきゃいけないっていう罪悪感。コロナでなくなっちゃったけど。
――それって休んでいるときもそうだよね。ホントは会社に行ってなきゃいけないってうしろめたいの。
「休む」という事柄の観念が変わってきたんだよ。
――自分でコントロールをきちんとできる人はいいよね。
――でもなかなか頭から抜くのは難しい。
だから、無理やり行動を変えるような事柄(=コロナ)が起こったでしょ。
――なるほどね。
大義名分があると罪悪感なく動ける
(人間は罪悪感をもってしまい、思ったように行動しない。そのためコロナのような無理やり行動させる事態が起こった)だって、やらないんだもの~。
思っててこういう風に祈りまでするのに、やらないんだもの~。
だから面白いことに大義名分(コロナ禍のテレワークなど)があると人間は動きやすいんだ。
だから逆に言うと、それが過ぎてしまうとそれを理由にして、例えば病気の人はずっと病気をかかえていなければならなくなる。
違う道具の使い方になってしまう。間違った道具の使い方だと身体を痛めてしまうよ。
――私は病気だからこれは出来ないの~とかね。ずっと仕事に復帰できないとか。
でもそれは罪悪感を抱えているから大義名分が必要なんでしょ。
もともといらない。
仕事をするためにというのであれば、身体を調えたら2倍の仕事ができる。
(でも)そこには至らない。なぜならもう疲れているから。
――そうやってぐるぐる回っちゃう。
罪悪感なんていらない
罪悪感なんていらない。
結局動かなければ、動かないんだから。
そして一番の怖れというのは、自分がいなくても回るんじゃないかと。この仕事は、あの仕事は。
回ったら回ったでいいんだ。
――でも普通の人はそう考えられないんだよ。
だから、コロナというものが出てきたんでしょ。
なぜかといったら、大義名分になるし、偉い上の人から、休めと言われたら休まざるを得ない。これは義務なんだって言われたから。
――出社しちゃいけないんだものね。どんなに軽くても。
これはこの時間をもらったって。これは罪悪感(を取り払うため)の、慣らし作業だ。
――でもそうなる人と、ならない人もいるしねえ。
ならない人はどこまで行っても何をやってもならないし見ない。そう言う人は、置いていけ。
――は~い、もう置いておくしかないって話をしていたの。
置いていけ、そういう者に関わっている暇も隙間もない。
なぜならその人は成長したくないんだ。
――したくないんだ!
したくないんだ。
いつまでも、かまって~ってやっていたいんだ。
自分こんなだよ、かまって~って。みんなが構わないとどうなる、歩かざるを得なくなる。毒を吐きながら。
それでも立って、歩かざるを得ない。そういうのはその担当者に任せておけばいい!
(2022年12月)
★これまでの700件以上の投稿記事から、テーマごとにまとめたページを作りました。随時、追加予定です。
これまでの「われわれさん」へのこれまでの膨大な量のインタビューの中では、同じテーマで質問することもあるので、メッセージを横断して特集していきたい。同じ内容でも表現の仕方が違うため、一つのテーマへの理解を深めるきっかけとなり、サイトの[…]
★より多くの方々にこのブログを読んでもらいたいと思っています。記事がご参考になりましたら、以下のクリックもお願いいたします。ブログランキングでは、他にもおもしろいブログに出会えます。