「寿命」という人智の及ばない厳密なルール

自然災害などが起こった時にどうするかは、それをまず「現象」として捉えるという話があった。(災害・事件などに酷い、可哀そう、といった感情をすぐ乗せるのではなく)現象として捉えるということ。その場にいる縁、いない縁、それを見る縁、見ない縁ということがあるのだろうか? 善行の好い因子はあるが、寿命とは関係がないという死生観にも話は及ぶ。

 

生と死の厳密なルール

 

外国の災害をテレビなどで見る、でもそこには自分はいない。

でもそこには生きている人もいるわけだ。

例えば、大事故が起きる前の電車に「それには乗らない方がいい」と(ある)おばあさんに言われて乗らなかったとか、家を出る時に絶対になくならないものがなくて探していたら乗り遅れたとか。

胸騒ぎがして乗ったけど降りたとか、間に合って乗ってしまったとか…。

――それって何ですか?

亡くなる人はなくなるし、亡くならない人はどんなことをしてもなくならない。そういうのはある。

例えば目立たなくても地味に人を助けている人、ありがとうも言われずに、そういう人っていうのはそういう時に助かりやすい。

事故に巻き込まれたのを何とか助けられたとしても、亡くなる人は一週間以内に別の形で亡くなります。

私でも変えられない。

――そういう厳密なルールがあるんだ…。ルールというか、まあ仏教的に言えば因果かな?

人が知らざるところだけれど、すごく密に決められているから嘆くことはないんだ。本当はね。

それはまた感情があるから別な話だけれど。

でもそれを知っているか知っていないかは違う。特に大事故の場合は。

――3.11の時とか。

同じ場所にいても亡くなる人と亡くならない人がいるでしょ?

 

「寿命」というものが必ずある

 

――そこは(発言に)すごく気をつけなければいけないんだけれど、良し悪しになってはいけない。

良し悪しではないんだ、そんなものでは測れないんだ、魂はそれよりも尊いから。

「寿命」が必ずあるんだ。

それが事故だろうと、病気だろうと。原因、要因はほとんどない。

――この世的な原因や要因ではなくて、あちらで決めてきたとか。

そう、だからこの世で測れはしない。今日この日、一分一秒違(たが)えない。

――向こうへの戻り方がどういう形になるかはわからないってこと?

好い果が多いか、悪いマイナスが多いのか、どうか。

好い果実ってとても単純なことで、自分も含めた人のためにみんなが笑顔になっているかどうかだけなんだ。

赤ちゃんが笑って周りが笑ったらそれも好い果実。

――いつもしかめっ面している人は?

それは動機による。

人からそう見えるだけで、自分はこうやろうというものがあれば。

そして相手がどう思うか、笑顔って人が笑顔になるのは6割くらい、後は薄ら笑いだったって、自分に合わせて自分を投影してみる、それも感情。

受け取るほうの感情。

気にしすぎない、だから現象として見なさいってこと。

大きいことが起ころうと、小さいことだろうと、まず目視する。そして今自分の感情はどう動くのか。

だって(これから)いろんなことが起こるからね。

(2019年1月)

 

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