日本は雛形ー日本にあったことは外国でも起きる

日本人として生まれることは狭き門であるらしい。それは幸運でもある反面、世界の雛形(ひながた)として、地震、火山、台風や大雨の水害、津波などの天変地異にも遭いながら、どう生きるかを問われているとも言える。日本人としての自覚をもつべきという強いメッセージである。

 

(日本人として生まれる)テストに受かるのは難しい。

だから(いつも)言ってる。

ここに生まれてこられて、動ける、日本人、ヤマト民族でいるってことがどんなにすごいことか。

――超スーパーエリートなんだ、私たち(笑)。

そう、超スーパーエリートなんです。

ほんとにエリートなんです。

だから責任も強いんです。

 

これから見せられることも多くなる。

例えばね、日本は雛形だから、日本に小さく地震があったり、水害があったりすると、外国にも起きる。

外国は大きくなる。

日本にあったことはもれなく諸外国に行く。

いろんな形を変えて。

 

普通でシンプルなことをいかに忘れているか、忘れさせられているか。

飴と鞭で。

日本人にとって飴と鞭は何が飴と鞭なのかな。

10年単位でやられているわけだから(=洗脳というニュアンスもある)

それを見極めてこれは本当に必要なのかな?ってなった時に与えていた者は慌てるでしょ。

見極めるということ、選択するということ、そろそろ必要なんじゃないかな。

 

日本人として。

大和民族として。

「わこく」として。

 

忘れてほしいことを忘れさせられたことを。

本当に当たり前のこと。

思いやりとか。

本当にシンプルだからこそ、みんなが考えなかった、当たり前に見えるもの。

当たり前すぎちゃってみんな考えなくなっちゃった。

便利な方に行くじゃない。でもなぜ不便なのかは考えないけど、でも最近みんな考え始めたじゃない。若い人も。

――なんかこのあたりの話になると、普通のことなんだけど、一番大切なことなんだね。

(2020年1月)

 

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