死後、あちらの世界

死んだらどうなるのだろうという素朴な疑問からスタートする。この世で経験したことなどはどうなるのだろう。

死後は経験しかもっていけない

―死後はどうなるの?

その人による。

でも自我は消えない、身体は消えてしまうがその人の経験は消えない。

つまり、経験しか持っていけない。

―触って堅かった、というのは(経験として)残っていくんだ。

もちろん、その人の経験として認知していれば残る。当たり前のようにしていたら、スルっと抜けてしまって消えてしまうかもしれない。知っているというのと、知っていてそれが何かということを感知認知する、というのは違う。

―これが板だ、ということは知っていても、触ってみなければ、感触はわからない。

触るという行為がその世界にあればね。この世界では触る、感じるはあるけれど、向こうは形がここ(=目の前)に出る。どこかに行って何かを買うとか確かめるとかはない。認識のコードが違う。

―私はアップルパイが好きで、その美味しいアップルパイは出てくるでしょ。でも、世の中には私の知らない、経験していないもっと美味しいアップルパイがあるけど、それは食べられないんだ(笑)。経験してないから…つまり経験のないものは出てこないのかな?

経験の中ではそれしか知らなかったかもしれないけれど、過去の経験上のこともすべて思い出す。

何をこの世界でやり終えたのか、やり終えなかったのか、をテストの答え合わせのようなことをする。
自分でもう一度どうしてもやりたいと思ったら、経験するためにこの世界に戻ってくるだろうね。

 

向こうの世界はすべてある

―物理的な世界でないところに行ったときは過去世に経験したこともすべて思い出したら、目の前に出てくるし…。

思い出すというよりも、その場で既にスタートしているし、半ばだし、終わっているという流れに乗っているので。思い出すというより、そこにあるんだ。

―自分でやってきたことなどがテーブルに並んでるって感じなんだろうか。

記憶という言葉がないから、その時点でアップルパイという表現を思い出したら、アップルパイというもの、言葉があると認識するとアップルパイが出てくる。それは自分が良く見たアップルパイだろうな。

―やっぱり、すべてのアップルパイを食べとかなきゃ(笑)。

ここからがおもしろいんだ。自分が知ってるアップルパイが出てくる、そしてそれ以外のアップルパイと言ったら、全種類出てくる。

―安心してむこうへ行ける!

但し、向こうでは食べるという認識はない。

―知ってる味もしないんだ。

味はする。

―今の世界(=この世)は割と楽しいと思っているので、それがなくなっちゃったらおもしろくないなと思って…。

だから、(この世に)出てきたんでしょ(笑)。

向こう(の世界)はなんでもあるということはおもしろくないんだよ。それが何回も繰り返されると当たり前になってしまう。すべてがあるから。全てがない、という経験もしようと思うとできるんだ。

(2014年12月収録 この記事は4年前に掲載した内容のリライトです)

 

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