メディアにコントロールされずに生きること、自分に責任を持つこと

6年前のメッセージを振り返りたい。コントロールに惑うことなく、自分で考えることが今後ますます重要になってきている。「自分が認められたいのなら、まず、他者を認める、行為を見せる。認めるか認めないかは相手の勝手様だけど、自分はこうであるというのは変えなくていいと思うが、あなたはそうなのねって一つ言えるだけで違うと思うんだ。」という流れから。

 

コントロールに惑わされない人

 

(上記のような意識を一人一人が持つと他人に)「移る」ということがあるわけだから。

――感染するってこと? 言葉は悪いけど…。

そう(=広がっていく、影響されていく)

それを悪い方に使っているのが、メディアであり、政治家であり、権力をもちたいと野望を持っているおバカちゃん達でしょ。

でもそんなものに惑わされない人が増えてきている。

それで(悪い方に使っている者たちが)慌ててるじゃない。

でも、おかしいをおかしいと言える。

自分にだけは嘘をついてはいけないし、自分にだけは嘘がつけない。

認めてあげないと哀れだよってこと。

自分自身をね。

――そこすらわかっていない人たちがたくさんいる。

(支配層、権力層は)わかっていないというよりも、そこに意識が行かないようにコントロールされてる。

コントロールされているってわからないから(他人を)コントロールできる。

――その通りだ。

それを一生懸命壊そうとする人が何十人、何百人と増えてきている。

――この会を始める時に、ここで聞いたことが絶対ではなくて自分自身で判断してねって言ったのが4年間繰り返されてきて、みなさんレッスンが積まれてきているね。

そうそう、そういうこと。

 

自分の目線はそれぞれ

 

私はこの会がとても大事だし、伝えられるという場をもらったことを大いに感激しているけれども、

私は私の目線と、今まで培ってきたもの、私がこの体(=人間の身体)以外のところでやってきた(経験してきた)事柄の積み重ねを伝えているだけであって、それがあてはまるかどうかはそれぞれ吟味してほしい。

――今まで(頭から信じるのではなく自分で判断して、と)こういう風に言われることってあまりなかったと思う。だいたいは私の話を聞いて頂戴ね、こうなのよ、ああなのよって。でもそれを私は私でこう思っているけれど、皆さんそれぞれ吟味して受け取ってねって言われ方ってあまりされてなかったと思う。

でもとても重要だと思う。

それぞれがそれぞれの体験で生きていて、生かしている。

生きているということは生かしているということだから重要なんだ。

一人として欠けてもいけない。

それは好きであれ嫌いであれ、仕事であれ、プライベートあれ、生かしているわけだから。

そこに存在しているということは。

――この会を始める時に自分で判断してねって。それはすごく大事なことだったんだね。それを培えたかもしれないね。皆さんも疑問とかを持ったかもしれないし。

いいと思う、それで。

疑問を持つってことは自分で解決できるかもしれないし、自分の感覚ではこういう風に解釈できるなでいいと思う。

それが生きてきた中だから。

――また何年かしてこの解釈はこうかもしれないと変化するかもしれないしね。

そのとき位に成長があるわけでしょ。

好奇心をなくすことは人間はできないみたいだから。

知らないことを知りたい欲求、知らせたい欲求があるみたいだから。

――知らないことを知りたい欲求をどうぞ(笑)。

 

選ぶ責任も自分

 

――確かに「勉強」というスタイルは学校の時からそのことをそういうものなんだと飲み込むことだった。

理解するよりもそういうものなんだってね。その人にとってはそういうものかもしれない。

でも君にとってはどうなんだ?

それをすり合わせて一致したところではどんな面白いことができるんだろう、というのがコンセプトだから。

ワクワクしなきゃ。おもしろくなきゃ。

面白くするのは自分たちだ。

選ばされているように見えて選んでいるのも自分たちだ。

だから選択に自由がある代わりにおケツ拭きも自分なんだ。

責任もね。

面白いおケツ拭きになるかもしれないし、面白くないおケツ拭きかもしれない。

どこに選択肢を求めるかだから。

それが「経験」なんじゃないのかな?

(2016年12月)

 

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