「知る」という責任
――今日は話題の初めからカラスが出てきて、もうこの前からこの会は、裏の会なのってくらい裏天皇、裏の話ばかり(笑)。あなたはここにきて裏の方と線がつながっちゃったんじゃないの?
もともとつながってるよ。
――そうなんだ、そうでなければここまで裏の天皇とかの話にならないよね。
――でも、今まではその話はチラッ、チラッとしか出てきませんでしたよね?
要は、「知る」ということはそれに対しての責任が生じるから。
その中で危険ではない、ここまではギリギリ大丈夫ねってところを見定めていかないと危ないんじゃないかな。
――こちらは見定めてもらってるんですね。あなたがまずフィルターをかけてくれてるんだよね?
もちろん、私は守らなければならないから。
――「われわれさん」もフィルターかけてくれてるんだろうね。でも、フィルターのない情報も知りたいって思っちゃうよね(笑)。
だけど、私は(フィルターは)いると思っているんだ。
なぜかというと肉体をもって人間のことを知ろうとすればするほど、(人間のことが)わかんないんだ。なんだ??って思うんだ。
だけど危険なもの、人間同士で何を突っつきあっているんだろうという者も、その人間同士はすごく、そのことに関して真面目だよね。
逆に言うと「責任をとる」ということにおいても、見定めて置かないとダメなんだろうなって。
――もちろん知っていいことと、知らないほうがいいことはあるよね。
知らないことは「ない」ことだから。ただ、人間っていうのは、藪をつつくんだよ…。
知りたがるんだよ。
――ここにいる人たちは藪をつつきたがる人達だけど(笑)。逆に藪は突きたくない人たちもいて。
逆に言うと、ギリギリのラインだよ。
――じゃあ私たちがつついた藪の情報、伝えられた方としても、知った責任はあるよね。
聞いた責任と、知った責任があるよね。
――聞いちゃった責任と、知った責任は少し違うかもしれないけど、どうしてもその情報を知ったら、変わらざるを得ないよね。
というよりも、それを知りたいと興味を持った瞬間に変わっているわけだよ。
人間っていうのは危機回避能力が強くなってるからね。無意識でも意識的にでも。
――もしかして、ある意味ものすご~く危機回避をする情報を教えてもらってるのかな、私たちは。
そうじゃないと、危ないだろ。
(続く)
- 1
- 2