嫉妬と怒りのエネルギー

今回は、「われわれさん」から私たち人間に質問という珍しい場面である。個人個人の意識も肉体をもたない存在にとっては、わからない人間感情というものもあるようである。

そもそも「嫉妬」とは何か?

「われわれさん」から質問なんだけど。「嫉妬」ってなんだろう?

―みんな説明に悩むね。「うらやましい」とか? 一番わかりやすいのは恋愛だけど…。男の嫉妬と女の嫉妬は違うかな? 男の人は仕事関係が多いね。男の嫉妬のほうが、たちが悪いかも。能力があると思っているのに、とか。だから相手を引き摺り下ろしたり。嫉妬って自分の思い込みだと思う。「われわれさん」も困っているね。

身体を持っているという現実と見えている世界、身体を持っていないという現実と見えている世界では感情、感覚、「当たり前」が違う。だからすごい興味あって「われわれさん」は聞いてみたらしいよ。

―聞いたとしても(われわれさんには)使いようがないよね(笑)。

でもこういう感情をこのフィールドでは持っているんだと(われわれさんは)理解はする。

―嫉妬をもつ、というシチュエーションを向こうの世界で無理やりにでも作った時にそういう感情って出るかなあ?

どうやって無理矢理に作るんだろうって悩み始めるよ(笑)。

―あちらは性別がないんでしょ。だったら恋愛する必要はないよねえ。

恋愛という名前がない。恋、愛、ではなく「愛」なんだ。

―ある人と一対一で恋愛関係を結ぶ必要性がないんでしょ。

だから「愛」なんだ。

―わかった、わかった、だから恋愛の嫉妬は難しいから、さっき言った役割があったとして、得意不得意があって…。

得意なことは、得意な者が得意なようにする。

―向こうの人たちもすごくたくさんいたとして、この会に関われる人と関われない人がいて…。あっそうか、みんな一緒なんだ、ひとつなんだからダメだ。集合体だから、個の意識がないから、だめか…。あ、そうか。嫉妬なんかないわけだ。

(麦茶のペットボトルを紙コップに分けながら)分ければこっちにもこっちにもわれわれがいる。また戻れば一つだ。もし人間が(われわれさんたちの姿を)見たいと言ってくれて、実際に本気で(人間が)見てくれたとして、見せていいよって(人間が)言ってくれたら、その人がこんな人なら見てみたいと思う姿を(われわれさんは)見せてしまう。

―こっちの紙コップがよかったとかはないのかな。

ないね。そういう思いがあったらすぐ伝わる。

―もうさ、だからさ、向こうの世界にはペットボトルも紙コップもないのよ(笑)。あ、わかった。こちらは肉体の制約がある。われわれさんは肉体がない。

もう終わったからね。

―肉体の状態がいいなっていうのは嫉妬じゃないのかな。このお菓子はすご~く、おいしいんだよ、私は食べられるけど、あなたは食べられないのよってね(笑)。いいなあって思わないかな。味を知らないんだよね。

根本的なこと言っていいかー。(あちらの世界では)食べるという行為がない!

―でもエネルギーを吸うことはするでしょ。

ここのエネルギーも吸うよ。

―おいしいっていうエネルギーを吸うんだ。

いや、おいしいって、よかったね!って言ったら同じ体験ができる。

―わっかんないなあ、きょうは高度だね。

「われわれさん」はこちらを知りたいと思うし、自分たちの知っていることを伝えたいと思うので、このお勉強会に参加している。

―恋愛とか、嫉妬とか、羨ましいとかって結構重要な要素ではあるね。恋愛とかって、こちら側に来たときの設定条件みたいなものじゃない。恋愛がなければ繁殖しないわけだから。絶対条件だと思う。根本的なところから、嫉妬とかはその設定から派生する感情だから。

面白い感情の発生の仕方だなあって(われわれさんは)言っている。

 

怒りのエネルギーとは?

―どうして神様は怒りというものを作ったんだろうと思うときがあるな。

怒りのエネルギーってスパークなんだよね、爆発。そのエネルギーを怒りとするのは人間なんだけど、そのスパークの大きいエネルギーはプレゼントかもしれない。

怒りに変化するととんでもないエネルギーだけれど、そのエネルギーを怒り以外のもの、怒りを道具にして立ち上がるものにするときにすごいエネルギーになる。

(以前に)言われたのは怒りをもったら、ラッキー。そのエネルギーで何かをすると、捗(はかど)る、と。それで、頭にきながら掃除をしたらすっごくきれいになったし、はかどった。ふつうしないところまで掃除した。方向を違うほうに持っていく。

純粋な力強い長く続くエネルギーなんだ。怒りって。悲しみもそうだ。喜びは怒りよりは長続きしない。

―嫉妬のエネルギーもそれに近いかも。

それを変換できるかどうか。嫉妬も怒りも自分の見る角度と方向性だ。自分の目に映るものしか見えないのであれば、いかように映してもいい。自分が決めていいわけだ。そこも選択だ。

―普通に怒りとするか、ぶつけて掃除するかだね(笑)。

選択を選択しやすくしてくれるのも強い感情。憎しみ、怒り、嫉み、嫉妬、こだわり、というものも変換できると思う。道具になる。行動への返還になる。エネルギーとしては純粋だから。それをどうするかは選択。

―別に掃除でなくても、仕事するぞ、でもなんでもいい。

どうしても変換できない感情が生まれた場合は、私が(←われわれさんではない)やっていたのは歩くこと。ひたすら、頭が真っ白になるまで歩くこと。知らない駅で降りて知らないところを歩くといい。頭が真っ白になるまで歩くという行為はなかなかできないだろうが、おもしろいことにその時間は与えられる。怒りで手につかない時間。

―貧乏性だから、その時間がもったいないとおもってしまう(笑) そのエネルギーで電気でも起こせないかな。笑い事じゃない、誰か発明すれば、世の中がよくなる。戦争のエネルギーがあれば原子力発電に相当するかも。真面目に商品化しませんか。変換はできるんですか?

できる。その根本的な意識は決め事は自分で決められる、ルールブックは自分自身であるということ。そこをずらさないようにすると、仕事のときに嫌な人に会って一緒に仕事をしなくてはならなくても、割り切れる。この役割は私の役割で、この役割は私の一部であって、すべての私でないと思えばいい。

その人に見せているのは一つの私。それを選んでいるのは私。主役になればいいんだ。

(2016年収録 この記事は3年前に掲載した内容のリライトです)

 

★記事がご参考になりましたら、以下のクリックもお願いいたします。他にもおもしろいブログに出会えます。

人気ブログランキングへ

精神世界ランキング