誰も肩代わりできない人生は、すべて自己責任ともいえる

「人生は肩代わりできない」というメッセージは、当たり前といえば当たり前であるが、自分で認識して、選んで、行動するということも実は誰かのせいでもなく、肩代わりできない自分のものである。そう考えてみると、人生すべてが自己責任だといえるかもしれない。この社会の未来も、救世主が出現して助けてくれるわけではなく、常に私たちの選択と行動によるものだともいえそうだ。

 

自分で選んでよい

 

人が本当に笑っている世界、一部の人ではなく皆が(笑っている世界が理想)

表面的な流れと、裏のコントロールしたい側(=支配層)の流れは太古からある。

 

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――たぶん、私たちはそういう闘争とは関係ないね。ここで話していることが大事だと思い、楽しく生きていれば、周りの人は楽しそうな人の方へ来たいと思うだろうね。

だから、今までそういう風な人がいなかった。

そうしないために(ある者たちが)罪悪感を飢えつけた。楽しそうにしているけどいいのかしら、みたいな。 

――自分で認識して、自覚して選択し、その結果を引き受ける覚悟をすれば、「われわれさん」たちは(手助けに)介入することができるという話だった。そうじゃない人に手は出せない。

その人が選択しなければ、手が出せない。その人の人生はその人のもの。SOSを出すということは、必要なことを認識して行動しているから手が出せる。 

「助けて」(というSOS)だけでは「(神様は)何を?」になる。人が人を助けることはできない。人に対しては手助けしかできない。

ヒントは出せる。そのヒントで行動するかも選択。

「自分で選んでいいんだ」ということをわかってほしい。
とてもこの世界は単純。 

いいと思われることでも悪いと思われることでも最終的に「おケツを拭くのは自分自身」で、逃げることはできない。 

人間に何千回も伝えてきている。何億年も伝えてきている。
でも伝わらない。 

 

人生は肩代わりできない

 

――はじめに「われわれさん」を信頼しているが信じていないと言ったのは「信じる」は良い悪いを考えずに信じるが、自分で認識して、自覚して、それを選択することが大事。信じるではなく認識する、ということが大事だね。

誰も誰かの人生は肩代わりができない。
するべきではない。

信じなさいは違う。信じるか信じないかを選択してね、と。いやならやめてね。私たちは、これは良いと思ってやっているのよ、「見てね」がホント。 

今までの宗教は信じてね、やめたら祟(たた)るよ、誰が? ()

でも一番怖いのは生きている人。考えるのも人間、システムに移行するのも人間、お化けは人間に何もできません。怖がる必要はない。人間の方が強い。

一分一秒、生きていることが奇跡だからね。

息をしているということ、細胞が生きているということはコントロールしている精神体がいなければできないこと。

それこそ不思議なこと。 

だから次に選択することが大事。自分の経験の中でしかできない。堂々と選択をしてほしい。今の段階の自分の選択だと思ってほしい。

そうすることは今の自分自身を認めることになる。認められると自分自身、細胞も含めて嬉しくなる。存在を認めることになる。

だから堂々とやってほしい。間違えることもないし。経験があるだけだから。