固定観念を疑う―幽体ならば鉄板も通り抜けできるのか?

固定観念を疑ってみることからスタートしたい。私たちが「ある」と思っているものは、本当に「ある」のかどうか? 例えば、鳥にとっては「国境」も「国」もない。同じように、次元の高い者から視れば人間が「ある」と思っているものも、そのルールがなければ、実は「ない」のかも知れないと思う。この世がバーチャルで、あの世がリアルであるという考え方に基づくが、以下の記事も参照いただきたい。

 

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この世がバーチャル?

 

(この世の中も)人間が作った空間。

 

「空間」というのはこの場所も含めて、「在る」場所でしょ?

 

「在る」ということは人が求めた場所(=望んで創造した場所)だ。

 

それをリアルに見て感じられる、(その空間に)入るも、入らないも。

だからおもしろい。

――バーチャル? 今日、みなさんはここへ来たくて来たよね? 嫌々来た人もいるかもしれないけど(笑)。

もし「ここがバーチャルだとしたら?」というシミュレーションもできるわけだ。

そうすると冷静に、理性的になれるのでは? 数字も含めて。

 

そうすると、もっと視野が広がるのでは?

あれもあり、これもあり、という感覚が出るからね。

 

そうすると差別がなくなり、区別を知ることになる。 

 

本当に「ある」のか?

 

――リアルだと思っているものを疑ってみる、ということですか?

それもまたしかり。

 

本当にあるのかねえ。

 

でも人間っていうのはとても強固で頑固だから。

すべての「念」がこれを(机を叩きながら)作っている可能性もあるよね?

 

なぜ、

幽体になったら、

これを通り抜けられるのだろう?

 

(リアルに)本当にあるのだったら通り抜けることはできない。 

 

――リアルに、本当に存在しているなら幽霊になったとしても通り抜けられないってことか。そうなんだ。

――思い込みを捨てたら、鉄板すら通り抜けられるってことですか?

 

そういう(人間が思い込んだ)観念があるだけ。

 

だから人間は名前を付ける。

 

――机、木、テーブル…、その名前で認めちゃうと、もうそこに「ある」んだよね。

――それって人間の作ったルールなんだ。

そのルールを使ったがゆえに、人はいろいろなものを使いこなしながら、楽しむことができる。

――この世界を構築することができたんだ。ルールなんだ。

バーチャル(空間)でもルールがあるでしょ。

山を置いたら、高さができるからその山を飛び越えることは普通はできない。

それがルールだよね?

なぜ?

やま、だから。 

――でも、なかなかそのルールを個人が勝手に変えられないよね?

と、思ってる(=と、思い込んでいる)

――というふうに、刷り込まれているよね?

そう。

(続く)