あの世とこの世ーこの世がバーチャルゲームだった

死後と生まれる前の世界の両方として、「あの世」とはどういう世界なのだろう。その世界を垣間見ることで、現世での人生に活かせることがあるかも知れない。(これは5年前の記事のリライトである)

 

この世でしかできないこととは?

 

――死んだらいろんなことが全部わかるんだとしたら、今のこの世で、努力してわかろうとしても無駄じゃないかって話をしてたんだ(笑)。

それはよーく聞く話だよ。

 

だけれども、ひとつだけこの世界だけでしかできないことがある。

 

間という観念を使って、AからBまで移動すること。

 

これはこの世界でしかできない。

向こうの世界ではできない、ありえない、「時間」がないから。

 

(あの世では)例えば「こういうお家が欲しい」と思うと、ポンと建ってるんだ。理想的なおうちが。

でも、こちらでは時間、労働、お金、人材がいるでしょ。それはここでしかできない。ここでしかできない経験をしていろんな感覚を養って、向こうに帰って試してみるんだ。

 

バーチャルであるこの世に生まれるには

 

だから言ったでしょ、(この世は)最初からゲームだって。

ここ(=この世)はバーチャルなんだって。

バーチャルゲーム(=この世で生まれて過ごすこと)はゲームに入らなければできない。ゲームに入る交換条件は「忘れる」(=過去生を忘れる)ってことだ。

この世界に入るために、前の事や、そこに来たということも忘れるんだ。そうしないとここで動けないじゃない。

 

ただし、裏コードもあるんだ。私みたいにね。

例えば道具(=ヒントなど)を渡したりね。ファイナルファンタジーにもあるじゃない。

そういう役割の人物がいるんだ。でもそれも会いたいと思ったり、念じなければ会えない。呼ばれなければ助けられない。

だから「祈り」という道具があるんだ。向こうでは祈る必要がないんだ。すぐ目の前に出てきちゃうから。

祈りは空気を震わせて、次元にこうなのよと伝えることだ。

――そっか~、死んでみないとわからないね。

ね、そこなんだ、死んでみないとわからないというのが初期設定なんだ。

私はわかっているから、向こう(あの世も)もこっち(この世)もリアルなんだ。

(続く)