余命が一週間なら…
(もしも)一週間しか命がなかったとしたら、あなたはどう動く?
とても真剣なことだよ。
そしてそこで決められた優先順位というものはなかなか変わらないから、それを知っているだけでいいんじゃないかい?
――まだ違うことができるから、生きていられる、とかね。
――余命宣告された人のレポート、よくあるけれど、本当に充実しているなって。
でも、そこに行きつくまで、怒り、悲しみ、焦り…。
――そうですね、とんでもないな。その中には、諦めもあるだろうし。
それを過ぎると、空間が光り始めるのがわかるんだ。
――そこまで行けないで死んじゃう人もいるのかな?
いや。たとえ一日でも、行けるんだ。
行けなくはないんだ。
――それぐらいいっぱい自分と向き合う人が増えれば、地球も落ち着くかなあ。
地球は落ち着いているよ。
――だからね、こっちも落ち着きたいから、その感じで地球も落ち着いてほしいなってね(笑)。そのためにやっている会でもある。
そしてそれを知っている。
経験は活きているのか
――終戦記念日に、太平洋戦争の記事をみると、あんなことが実際に自分の生まれる何十年か前に本当に起こったんですかと思って、その反省って今、活きてるのかって、時々わからなくなる。
経験したものと経験していないものの境はあれども、思いの深さという部分においては、いろいろな感覚を自分の中に取り入れることができるんじゃないかな。
そしてそれを忘れない限り、活きるものもあるんじゃないかな。
300年、400年前は江戸時代。
侍が闊歩していて、忍者という間者がいて、バカ殿がいっぱいいて…(笑)。
――志村けんじゃないの(笑)。今回、70年、80年前の戦争は絶対に私たちは起こさないよねって思っていたのに、まずコロナで、こんなに簡単に人って扇動されちゃうんだって知り、ウクライナで、え!まだこんなことやる人達がいるんだってことを知り、だから、決して…。
対岸の火事ではないね。
――そう、非常に…。
揺らいだね、突き付けられたし。
――そう、それを直視するだけの…。ああ、でも直視したね。さんざん見せられたね。
年代にも依るけど、思い出したくない派と、自分で経験した、もしくは近しい者が経験したという部分があるから真剣に向き合ったという人たちがとても多い。
それは先人の知恵になる。
――なんかねえ、一人一人が頑張ってもねえ、という無力感は、感じちゃったんですよねえ。でも、あきらめちゃ、終わりだから、死ぬまで抵抗はしたいと思うけど。
等身大でできることをなせばいい。
思いは残るということは、わかったはずだよ。
――意識は残る、ここに、いっぱい残しておかなきゃね。
そして子供たちだけでなく、自然に何を残すのか。
あなたが、生きた、という証を残したがるのは、人間の常だよね。
―いや、私が生きた証を残すのではなくて、少しでもよくして、よくしたことができて、死にたい。それを私がやったって何かをつくらなくていいから。
(自分が作っている認識や限界の)枠を外してみてみな。
(2023年8月)
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