正義と悪は変わってしまう、それを認め合えるかどうか

少し哲学的な内容でわかりにくいかも知れないが、人でも国でもみな、自分こそが正義だと思っている矛盾があることを考え方のスタートとしたい。あの国こそ悪だ、と私たちが思っても当事国は我こそが正義だと思っているのである。そのことを互いに認め合えるだろうか。

 

正義と悪は立場で変わってしまうことを認めあえるか

 

正義とか悪とかは、一人一人が考えて、一人一人の中で正義とか悪とかを見つめればいいだけだ。

戦時中の正義とか悪とかとは今は全く違う。

変わってしまうから。

 

そしていかに自分たちの思い込みを外せるかがポイントだ。

 

私はこうだけれど、あなたはそういう形のものをもっているのね、と認め合う、合わせることができて、そこからスタートできる。

それは男女関係ないし、年齢関係ないし、国籍関係ないんだ。

 

それぞれ小さいエネルギーだけど、いろんな人たちがそういう意識体になれば、変わるというよりもその場が、それぞれの場に持っていけると思う。

誰か一人の場ではなく、多数決の場でもなく、勝ち負けでもなく。

私はこれを正義と思っていますがどうでしょうか、と。

正義と悪を人間は変えるからね。

 

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正義の味方、正義と悪

 

一人ひとりが変われるかどうか

 

そもそもそれがどうして価値基準になっているかは当たり前すぎて人間は考えないからね。

それぞれの価値基準でいいと思うんだ。

でも人はみんな自分と同じ価値基準を持っていると思い込みやすいからね。

――そこは注釈を入れたい。守るべき最低限のことを共有した上でね。

もちろん。この世界のルールはあるでしょ。

この世界で生かし合うためのルール。

もしかしたら政府が作ったルールではないかもしれない。

人間も含めて本能的にわかっていることかもしれない。

それを思い起こすのは、自分が認められたいのなら、他者を認める、行為を見せる。

認めるか認めないかは相手の勝手様だけど、自分はこうであるというのは変えなくていいと思うが、あなたはそうなのねって一つ言えるだけで違うと思うんだ。

それが場をつなげるということじゃないかな。力が強い弱いとかとは関係ないから。

――そういうことを言える社会にあまりなってない。

それは一人ひとりがなっていないから。

意識を変えていって、ひとりひとりがそこに惑わされずにやっていけば必ず開花すると思うよ。

(2018年11月更新)

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