善悪と正義ー正義とは何だろう?

われわれ人間は、世界の政治的問題を善と悪や、右派と左派、といったように二極対立にして理解しようとしている。人種差別問題もそうだろう。そして、当事者はみな、われこそが正義と言っているのである。

 

正義とは何だろう?

 

―話を戻して、ぼくらは正義と悪者…。

あのさ、「正義」って何? 
こちらからは正義でも、向こうからは悪者だったりする。相対的なものでもある。
一つだけ納得できるのは命を無駄にしない。自分も相手も。それは正義だと思うよ。

悪はすべてを奪い取って、意味なくグチャグチャに壊す。正義は意味を持たせることかもしれない。その人の感覚や属するところによるので範囲が広すぎる。

―国と国の対立もどちらにも「正義」がある。今、複雑になりすぎてしまっているね。

複雑にしてしまったのはあなたがた

―複雑だから、対立するものでとらえようとする。正とか悪とかで。そうすると簡単にとらえられて安心するんだ。

人間には二つある(=見方によって両局面がある)、という仮定はした方がいいかもね。相対的に見ざるを得ない。知りたい欲求があるし。

 

陰謀を企てる悪者がいるのか?

 

―陰謀論的に誰か悪いものがいて、直接手を下さず、世界をどうかしてやろうとしている人に憑りつくというか、エネルギー(=宇宙存在、霊、見えない存在?etc.)としてか、そういうことはあるのかな?

エネルギーは呼ばれたところに行く。純粋なんだ。

―エネルギーは悪いと思ってやっているわけではないの?

エネルギーは使う者によって、その存在意義を与えられる。まず、純粋であればあるだけ。悪でも、善であろうと。

―そこのところは捉えられる限界だな(=人間の考え方では理解できない)。エネルギーに善悪はなく、そこに名を与えて動かすのは人間だというんだけれど…。それ自体に意思があって、人間を認識するというか、ここにあるこの人の思いに憑りつこうとするのだから、そちら側(=エネルギー)にもなにがしかの意図があるのではないかと思う。

私たちがよく「扉を開く」というんだけど。空間の切れ目があってその扉が開く。空間が切れて、それと重なるようにある別の空間から意思を持つものが来る場合がある。それはさっき言っていた純粋なエネルギーとは違うもの。

―そういうことの方が解りやすいな。その扉がどこにつながっているかは、わからないけれど…。

どうも、人間がよく言うあまり良くないものの所に繋がっているようだよ。

―そういうことがここのところ多くなっていないですか? 昔から多かったのかな?

昔から多かったけど、それがわかりやすく、雑になった。昔は純粋な強いエネルギーでないと扉は開かなかった。今は結構雑に開く。

―そうすると雑なやつが入ってくるようにならないかな?

そう、そして、雑なやつは残るんだよ。帰らないんだ。

―そのエネルギーを人間が使うというさっきの話とは違うよね。

それは全く違う。純粋なエネルギーは意識を持たない。でもこの雑なやつは持つ。憎悪を持っても人は心でコントロールする。でも耳元で、ホントにいいの?ってささやく。

―それが多くなったと思う。

多くしたのは誰でしょう?

それを多くしたのは人間でもあるが、その雑なものをどうにか排除しようとする人たちもここ数年、4年ぐらい前から動いているんだ。

 

人間は敵と味方を作りやすい

 

ただ、われわれ(=「われわれさん」たち)が危惧しているのは、

人間は敵と味方を作りやすい。
作ってもいいけど、あまりにもその(対立するという)想念が強いと、敵を(意識で)大きくしてしまう。

そうするとそこに集(たか)ってくる雑なもの(=見えないエネルギー)がいるんですよ。

―要するに「トイレの花子さん」じゃないけど、それに集中するとそれが形を持ってしまうということだね。でも雑なものに同調してしまう人も増えているけど、そうじゃないという人も増えているね。

今はそうじゃない人たちが多く、数として勝っている。

―扉が開いて雑なものが入ってくるのと同じことを宮司さんが言っていたよ。最近は悪いものがたくさん出てきているって。引っかかってしまう人が増えてきている。

 

とり憑かれるのもテスト

 

その者(=悪いもの、雑なもの)たちの役割って知っている?

―雑なものについてしまう人と、そうではない人をわかりやすくするため?

それもある。テストだよ。あくまでも促(うなが)しだよ。すべては。

試される価値のあるものがね。だから雑なものに憑かれる者も、それすらも試しなんだ。その試しもなくてひっかからなくて「ほへ~」って人は可哀想だよ、何もないんだ。

―いや「ほへ~」っていう人はいいよ、害がないから。雑なものにくっ憑かれたら、害がある。

その害と認識をする人たちは、そのものを(害だと)認識した時にどう動くのか。それは学びじゃないのかい?(=良い経験になるんじゃないのかい)

―それは「われわれさん」レベルにとってはそうかもしれないが、人としては(経験としても)きついものがあるな。

きついものでも乗り越えられると思っている。

―IS(イスラム国)だって、雑なものたちが大量に憑いたものだと考えられるのではないかな。それが「試し」だって言われるとそれはちょっと受け入れがたい。

でも、(悪いものに憑りつかれても行動するかしないかの)選択は自分にあるという認識をしておくこと。

―彼ら(IS)はその選択をしたのなら、それでいいけれど、地球規模での被害はひどいよ。

ISを選択しない(=ISに入らない)、という人たちはなぜ選択をしなかったのか。それを行動で示していけば、ISの人たちも、戻ってくるかもしれない。

―めっちゃ、普通な話だ。

そう、普通。

―「雑なもの」っていう言い方がわかりやすい。いい表現だな。今までは(悪いものが)一種類みたいだから理解に限界があるというか。理解に限界があると言っていたのは、捉える次元のレベルが違うということ。どこの次元のレベルで捉えるかで大きく違う。

それをどうやって伝えるかは難しい。

 

自分自身を信じ抜けるかどうか

 

―人間のレベルをはるかに離れた次元で俯瞰して話すのか、そこからどの段階まで降りてきて話すのか、人間に近づいたところで話すのかでは話すことが違ってくる。例えば、さっきの「エネルギーがあって」という次元のところで話すと、ものすごくたくさん違う言葉での説明が必要だと思う。そうすると(その次元だと)善と悪ということも使えなくなるってことですね。

大丈夫だからこっちをやろうよって言った時にそれを信じ抜いてくれるかどうかなんだ。

―それだと、(勧誘、誘惑のように)これを信じなさいってのと同じ間違えを犯すことになる。自分がそれを信じられるかどうかでしょう。

そう、自分自身の感覚を信じ抜けるかどうかということだ。

―みんないいって言ってるけど、なんか変だよなっていう自分の感覚は大事だよ。

そう、とても大事。そこで質問ができることが大事。

 

人はいざとなると見ない

 

―そういえば、灰皿事件(=何もしていないのにテーブルの上の灰皿が動いた)とか、不思議なことがあって目で見ても人はなかなか信じないね。

だから、そんなことに力を使ってもしょうがないからなかなか見せない。

でも、どんどん不思議なことを見せたらいいっていう一派もいる。例えば、どんどん不思議なことを見せたら、(人間は)どうなると思う?

まずは否定をするけど、否定もできないと、気が狂わないためにその人がすることは「眠る」ことなんだ。夢だったんだと。(不思議なもの、超能力etc.)見たいって言うから見せているのに…。

無いと認識しているものを目の前で見せられたらどうなのか。こういうお茶目な現象(灰皿が動くとか)だけでなく、陰謀論的なこととかはパニックになるから隠しますって。よく言うよね。

―その現象を見せる意味って? 面白いから見せてっていったらどう?

それでは(=そんな理由だけでは)見せられない。こういう現象もあるんだよ、こういうエネルギーの使い方もあるんだよ、こういう人物たちもいるんだよっていう見せ方です。それを見た上で、信じる信じないはあなたの選択です。でも、こういう現象はありますよって。

もうそろそろ隠す必要はないと思うんだけど。隠すから知りたいんでしょ。

(2016年2月収録 この記事は4年前に掲載した内容のリライトです)

 

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