神社への参拝が、単にお願いごとだと思われているふしもあるが、祈願をされる神さまの立場も考えさせられる。
今回、出雲へ行った時は神様たくさん、ぎっちぎちにいらしたね。もう、8月半ばから集まっていて、いろいろ話し合いが活発だったよ。
大神様が出雲に行っていて不在なところを下の神使たちが一生懸命頑張って守っているんだけど、当たり前のように願い事をして当たり前のように帰っていく人が増えて、神使たちの力がね、なかなかどうして難しいところがあるのよ。
昔は感謝しながらお願いに来て、叶ったら感謝しに来てってしていたのに。
―テレビで伊勢神宮を紹介していて、ここはこういうご利益、ここはこういうお願いが効くとか言っていて、もうふざけるなって思った。そう、ここはどういう神社か知らないで、なんでもかんでもお願いしているのはどうかと思う。
ただし、それをかなえるための努力はどうするのっていうのは聞かないんだ。
―あと、延々と並ぶ御朱印帳の列。
記念でもいいんだけど、神様はどういう動機でお参りにきて御朱印帳もらうんだよって言ってるんだ。スタンプラリーならその動機でいいんだよ。忘れないっていう点で。あ、並んでる、なんだろう、(じゃあ)並んでみようっていうのが多いんだ。
本当にありがとうが足りないんだ。
―若い人がありがとうを言わない。
そう、教えないんだ。言ったら負けっていう変な風潮がある。ごめんなさいもそう。
―ありがとうとごめんなさいを言えば何となくうまくいくんだよ。
言わなくては伝わらない。それから想像力が少しなくなっているかも。
―今は謙遜もない。
今はあると全部買って持っていってしまう、後から欲しい人がいるかもしれないとかは考えないね。分け合うと、足りるのにね。そういう人は多いよ。恥ずかしいよね。
―何が欠けてそういう風になっちゃったんだろうね。
ちゃんとした良い意味の自尊心と、本当のプライド、おかげさまということ。
ゆとりがないの。
あと、肩書で生きちゃっているんだ。たとえば、お母さんという肩書。妻という肩書。だから子供は所有物だし。それはちょっと視線を外して、人間としてどうなのって。
そして、余裕を持とうよって言うんだけど。伝えたことに対する想像力も。
―満たされないんだろうね。
そう、それと不安なんだろうね。全部自分で持たないと不安なんだろうね。(2018年10月)
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