新興宗教と信仰について

新興宗教の熱心な信者は、自分の考えをすべて依存しているだから、自分の人生を生きているわけでないという話の続き。

 

無表情の信者

 

考えなくて済むから。

だから怒りも何も自分の感情ではないから変なのよ。

涙をわ~って流したと思ったら、ぴたっと止まって無表情になったりするのは、そこでしょ。

――だから言われるままに1億円も出すと…。

――出したら救われるってね。

救われるって思いこんでる。

救われるのは出された方だよね。

お金使えるんだもの、1億円あったら豪遊できまっせ(笑)。

――うまいこと言いますね、救われるのは確かにもらった方だ(笑)。信者に聞かせてやりたいですね。

そういう不都合なことは聞かないの。

なぜなら自分が楽だと思い込んでるから。

責任をとらなくていいから。

――自分に都合の悪いことを聞かなくていいって最高だね、めんどくさくなくてさ。

いいと思うの?

――いや、自分を生きてないね。ダメだ。

そういう人たちは他人を救うとか言ってるけど、自分を救うのは自分だから。救われない。

――今、統一教会って言ってるけど、他の新興宗教は戦々恐々としてるだろうね。

戦々恐々としているのではなくて、あっちがつぶれればこっちが台頭できるって考えてるだけだよ。

――向こうの信者はこっちに来いと。向こうで救われなかったけど、こっちでは救われるって(笑)。

――今、ある一定数の人類、自分を生きてない人類があからさまに出てきたって思う。

だからどうするのってその人たちは言われるんだ。

ハイハイこれ見なさい、どうするのって。

今までやってきたことの尻ぬぐいもしなさいって。

――でもその人たちはどうするのって言われても、今まで人に預けてたからどうもできなくなってない?

どうもできなくなったんなら、どうもできるようになるまで生きればいい。

つらいよ、きついよ、でも選んだんだから、結果の責任はとらなきゃダメなんだよ。

それが、生きている間だろうと、死んだ後だろうと。

(続く)