「われわれさん」からのメッセージはどのように伝えられているのかー身体、肉体の認識について

このブログのメッセージのすべては、「われわれさん」という存在からのエネルギー(?)をある御方を通して伝えられたものである。しかし、そのメッセージはどうやって降りてくるのだろう?

 

身体を「器」として使う 

 

――「われわれさん」が「降りて」くるという表現をされるんですが、何かスイッチを入れるわけではないんですよね? 来ても大丈夫だよというスイッチを入れているわけではないんですよね?

ない。 

――勝手に? 

勝手にでもない。

観念が違うかもしれない。

みんなは人の身体とか、自分の身体という観念だけれど、私は器を使っているという形。自分の身体ではない。

――今のは、「われわれさん」の答え? それともあなた自身の答え?

私に今質問したでしょ。

私の観念としたら、身体というより、器。コップと一緒。

普通の人は自分の身体。

私は自分の身体だけではなくて。 

――あなたのは、自分の身体プラス器があるの?

自分の身体というより、みんなの身体。私も含めた。

――ひとつになっちゃうんだ。

――でも、自分の身体は疲れたりするでしょ。

物質的な疲れは。

例えばどこかに行くとか、そういう疲れはあるよ。

「器(うつわ)」として使っているときは疲れない。

――われわれさん」、そのエネルギーと呼んでいるもの、存在は、日本語はしゃべれないんですよね。あなたの口からしゃべるときは日本語になってますが…。

脳みそで変換だと思う。

だから私が知らないこととか、知らない言葉だとか、発音、発言とか。

日本語というものを使い慣れているから、そちらの言葉に変換されると思う。

ただし変換されない音とか、向こうにはない表現、こっちにはない表現の時には多少、選ぶ時はある。

(続く)