自分の選択と責任

(今回は大嘗祭についての話だったから)今日はずいぶん濃いのが(降りて)きたよ。疲れたから休憩。

―顔つきが違ったよね。仏像さんのようなお顔だったよね。緊張感があったね。

休憩の最中は雑談にて大嘗祭前夜の世界のニュースについて話した。備忘メモとして記しておきたい。ー香港のデモがどうなるのか。環境活動家のグレタ・トゥンベリさんの話。顔が怖く、誰かに利用されているのではないか。中国がバックアップしているのか、非常に共感を得やすい年代に、共感を得やすい内容のアピールなので広がるが…。言っていることは一理あり正しいが、何か胡散臭さが残る。Newsweekでウイグルの知識人が消えているというニュースも登場。ジャーナリストが行けない、入れない。外国人が入れないところがたくさんある。等々

 

いかなる選択にも罪悪感はいらない

ただ、(これからの時代)本当に自分たちの選択が重要になってくるね。

どんな選択をしたとしても罪悪感をもったり、失敗したと思わないでほしい。

その時にそのものを選ぶということは今の自分にとってそれが見えたっていうことだ。そこから5年後、10年後だといろんなことを学ぶわけだから変わってくるでしょ。

変わったら変わったでその時に変えればいい。そう思うよ。

だから罪悪感はいらないよ。

ただまあ、今日はとても強いのが(降りて)来ているね。

 

知る責任、知った責任

―久しぶりだからかな。待ってたのかも。

いや、こういう話(大嘗祭など)だからじゃないの。

伝えられるものと、伝えられないものとあるけど。

すべてのものを背負ってこれから生き抜いていくってことだから。天皇さんは。知りたくなくても知らなきゃいけないこともあるし。

―そうじゃない私たちは幸せだよね。

知らなくていいことがあるというのは幸せだと思う。責任がないから。

でも、責任がないからって手放しではなく、知ったこと、これから知ることができることは貪欲に知っていってほしいし、使えるものだったら使ってほしい。自分なりのやり方でいいから。

―この会をやらなかったら知らなかった知識だったとしたら、それを選んだ自分たちは違ってきちゃってるよね。

違うね。

ここへ来る、場所へ行く、その場所を選ぶ、聞くものを選ぶ、やることを選ぶって今後とても重要かもね。

場がつなぐかもしれない、場に呼ばれるかもしれない。

そうしたら、国外だろうと、国内だろうと堂々と動いてほしい。

―先日、福岡に仕事で行って宗像大社にお参りしたいと予定を調整していたところで、白山中居神社の近くの旅館のお姉さんと話をしていたら、出身が福岡ですって。あら、福岡行って宗像大社行きたいって話してたところだと伝えたら、大島行ったんですよ~、いいですよって。宗像大社は宗像3女神が宗像大社、大島、沖ノ島に祀られてるんです。白山の神様に大島、行けって言われたと。キターって(笑)

昨日だっけ? 宗像大社の船がわぁ~って来るお祭りだったよね。

みあれ祭だね。ちょうど。

行けばいい。でも、場が整わないと行けないから無理しないこと。絶対に無理はしてはいけない。自分がきつくなってしまうから。

 

「日本」という国はない

―そろそろ締めの何かありますか? 今日は緊張感がすごかったですね。

今日はちょっと変わり種の強いのが(ここに)来ていたね。多分昔の民族の神様だと思うんだ。今の若い神様ではないね。「わこく」といわれたころの神様だ。

―日本といわれる前の神様だね。

日本はないからね。日本は植民地だからね。まだ。

―どこに支配された植民地なの?

アメリカ。

―植民地だけど、天皇の存在はOKなんだ。

もうそれは宿命だからね。

―それで(天皇の存在)とバランスをとった仕組みができた日本なんだね。それでもニ千数百年続いてきているんだ。

ただ、日本という名前はないよ。(2019年10月)

 

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