今回は日常の生き方全体の話であるが、自然=神と捉えて、環境問題などを中心にするとわかりやすい。
この日常は当たり前はない
――もう人間は、神様にお仕置きされてお尻ペンペンされないとわからないのって思うよ(笑)。
だから(神さまは)優しいだけの存在たちではないの。
――前回のお話の中で、繰り返し、動くときは神様たちは何も考えずにバシンと動くよって言っていた。
直観を大事にして、おかげさまという気持ちと、自分が今ここに「いる」ということに感謝して動きなさい、そしたらわかるから。
日常の動きでいいの。
特別なことでなくていい。
そもそもみんな特別なんだ。
当たり前じゃないんだ。
もうそろそろ重い腰をあげないとね。
――重い腰を上げた人たちもいるよ。
その人たちが過半数をもう少しで達成するから、腰を上げてない人たちが慌てているんですよ。
暮らしにくいねえって、人にやってもらえてたのに自分でやらなきゃならなくなったしって。
なんでそんなことやったのよ、と引き摺り下ろそうとしても下りないしね。
――いいね、それ。前回もほとんどこの内容だったよ。
自信をもっていいんだよ。
個々だから。個人は全体だから。
もう、変わったものは元に戻らない、戻せない。
――転換期ですか?
転換期は過ぎたんだよ。気づけ、と。
進む自然との共存
――20年近く前から考えたら、ものすごく変わったね。(当時は)環境問題とか言えなかったものね。
自分たちがどこに重きを置くかだけなんだ。
割り切りと類は友を呼ぶ。そうすると行動しているうちに面白い人に出会えちゃったってことがある。
自然とおうちの共存、共栄、道、川、などの共存が目に見えてもっともっと加速する。
山をどうするのか、川をどうするのか。
里中(=里山)がなくなったし、わからなくなった。動物たちが出てきた。
そこは考えなきゃならないし、これではだめだと模索しいる人たちが出てきた。
村や町を作るとき、広げる時に里中を考えなきゃならない。
昔よりは素早くできるようになっている。
それは経験を積んだからだ。経験を積めたことを認めながら、周りも、「これはいやだ~、他のところにやって~」って言うのではなく。どこかにやらなければならないからね。
その時に、少しでも「ありがとう」「おかげさま」が大事だ。
それがあるから生きられる。あればあったでそれを人間は利用するわけだから。
見えるところだけではなく、全体を見る、グローバルな視点、を求められているわけだ。そして神様もね。
(2018年10月)
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