意識を意識することー死後の走馬灯で考えること

死んだ後、あの世に行く前には走馬灯のように人生を振り返るという。日々のささいなことではなく、生まれた目的や使命を振り返ることになるのだろうか。ここでいう「大事なこと、大きなこと」とは何だろう。

 

走馬灯で思い出すこと

 

――時間は有限だね。

「一日を生き切る」って難しいことだ。

――主婦は寝る前にあれもやらなきゃ、これも終わらなかったって思うよね(笑)。

向こう(=あの世)に行った記憶がある身としてひとつ言っておこう(笑)。

死ぬ前にはそんな小さいことを考えないよ。

もっと大きいことを考える。

「走馬灯」っていうでしょ。

(普段は)本当に気になることを考えないためにどうでもいいことを思い浮かべる。

普段は思い出さないけれど、走馬灯の中には出てくる。

 

意識を意識する

 

――死ぬ間際にしか、そういう大事なことは出てこないんですか?

いいや、意識を意識するんだよ。

普段は息を吸うことすら意識していないけれど、息をすると思うと難しい。

その意識というのが違うんだよ。

無意識の領域に人間は入り込むことができる。

無意識と仮定しているのも人間だから。

無意識をぐっと上げてきたときに意識になる。

でも意識はそれを意識しないとわからない。

――20年くらい前に自分の胸の奥で小さな声で問いかけに答えるように「地球を救う」って浮かんできた。その時はそんなこと考えもしていないときで大丈夫か私?って思ったんだけれど、今こんな会をしているってことは…。あれは私の無意識だったのかな?

無意識を意識化したものを認めるっていうのは難しい。

訓練はしておくべきだね。

――ふと思った「地球を救う」というのが無意識から出てきていたからこの会を5年も続けているなら、その会に5年も参加している皆さんもね、気が付いてほしいよね(笑)。

(2018年12月)

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