人の身体を変化させ、進化させるときとは?

人間は、病気や災害や困難を避けようとはするが、こうしたことにぶつかって初めて強さを身につけるともいえる。疫病によって免疫力をつけるとも言えるし、長い目で見れば「進化」のチャンスなのかもしれない。

 

人の身体を変化させ、進化させるときとは?

身体の変化は進化

 

――ずっと前から、各分野でカテゴリーの境界がなくなるというか、縦断も横断もしてくるのではないかと、ぼんやりと思っています。例えば、美容と健康(医学)とスポーツのトレーニングとかも分かれずにだんだん一緒になってくる、同じことなんじゃないか、みたいな。

だから、身体の中というのは小宇宙といわれているように、今まさに、脳と、脳は司令塔でありながらも支えられている場所でもある。

そこの部分に置いて話をしているということ。

だから面白いことに(身体の臓器でも)よく話すものもいれば、寡黙なものもいる。

でも中のいろいろな部分が変わっていくと、特に腸内環境が変わっていけば、そうすると今まで何も言わない臓器だから、病気になった時に大変だというのはかわるかもしれない、言うかもしれない。

痛いのよって。

だから身体が変わるというのは進化の一つ、中が変わろうと、指が5本から6本になるかもしれない。

ただそこの部分で決して極端ではなく。

だからこそ身体が変わる時には喜んだ方がいい。

病気になった時も。苦しいだろうけれど。

――以前頭痛がする時に、頭の中が切り替わってるからとあなたに言われた。

苦しいねえ。でもそれを自覚してやればいい。

そういう時にしか変化できない、人間は。

人間は悲しいことに物事が起こった時にしか変化できない

――それは言えますね。

起こるよ、起こるからここを回避するんだったらこうだよって言っても、嬉々勇んでいくから。

――ガシャンとぶつからないと気が付かないからねえ。

そしてぶつかって、怒るんだ。

――なんでこんなことが起きるんだってね(笑)。

(人間は、回避せずに困難なことが起こってから、はじめて気づき、怒りもする)

だから、その手前で自覚するのか、ぶつかって自覚するのか。

手前で自覚できるのは観察者だ。

――観察者というのは、「われわれさん」だ。

それも、そうだけれども。

 

起こること、伝えられることの取捨選択

 

ちゃんと自分自身を見て、ちゃんと自分自身に対して組み立てている人は手前で気付く

だから(周囲の人に)伝える。

それは「流行」という形で伝えるかもしれない、「」という形で伝えるかもしれない、「情報」という形で伝えるかもしれない。

聞く聞かないは相手次第、ただ伝えることをやめないんだ、そういう人たちは。

(その伝えられたメッセージを受け)取る取らないは相手次第だ。

――そうだよねえ~。

ただし、だからこそガシャンとぶつかって怒るのは、自分自身に怒ればいい。

――そうですね。でもみんな、人に対して怒るよね。

――ワクチンもそうですね。人に当たる(=責任を負わす)のが常だから。

だけど当たられた方はどうなるのかな?

(うろ)がたまるよ。

だからこそ、それぞれのソース、いろんな形のソース、自分にあったソースは絶えず観察して、一日の中で、受取る、受取らないを選択したほうがいい。

今後よりいっそういろんなところから来るから。

――それはまじめにそう思う。「流す」ということをしなきゃな、と昨日しみじみそう思った…。

そして(それぞれ個人の)「選択」は間違えることはない

それはなぜか?

それぞれの経験があって、経験上に基づくものだから。それぞれの。

――間違えないのは、良いもので楽なものでは、ないからね。そこが辛いところだね。

でも経験をすればまた一歩進むでしょ。

――人類に学習能力があればねえ。

そこまで責任は、もたない。

――今日はいつもと全然違う人が降りて来てるねえ。

(2022年12月)

 

★これまでの750件以上の投稿記事から、テーマごとにまとめたページを作りました。随時、追加予定です。

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