受容と認識についてー未曾有の時代を生き抜くためにできること

哲学的な内容であるが、テーマはいつもの通り「認識」についてが中心である。「われわれさん」より逆質問から始まる。私たちはすぐに「一般的には」と考えるが、受容できること、認識すること、判断すること、行動すること、何もかもすべて人それぞれで違って当然であるという考えをもっておくと理解しやすいかも知れない。一般論であれ、誘導された考えであれ、すべての決定は「自分」である、と。

これから未曽有の事態(地震、台風、豪雨、事件、政治の展開など)が起こりうるので、そのためにも「受容すること」「認識すること」を一人一人が考え、見つめ直しておくことは大切なのだろう。

 

受け入れられること、受け入れられないこと

 

今日は(われわれさんより)聞きたいことがあって…。

「受容」と「認識」についてと、自分の感覚で受け入れがたいことを聞きたい。

(一同沈黙)

――受容できることと、認識できること、受容しがたいこと? どんなこと? 人に対してとか?

どんなことでも。なぜなら個々のことだから。個々が感じてそこに視点を置いて見つめることだから。

簡単な個人の事から一般的なことまで。これだけは受け入れがたいというのはそれぞれが分かれることだからね。

――この大きい社会でいうと、幼い子供が亡くなること。虐待で亡くなることとか。それは多くの人が受け入れがたいと思っていると思います。

受容できることは? それぞれのドラマがあるからね。

――個々で違うよね。

なぜに違うのかな? それぞれの視点から見るとそれぞれのものだよね。性格が違うように。その認識も含めて。

――例えば認識するということを日々意識しているかっていうとしてないよね。

だから「一般論」とか「一般的」という言葉を使うんだろう。

――それを言ったら受容するということも、ひとつひとつ受容していると認識してるかというとなかなかしていないね。

「選択」はどうしているの? 

それぞれの行動と認識するということは無意識だろうと意識的だろうと選び取ることじゃない? 

いろんなことを感じながらやっていると、人は困難なこととか遠回りすることを選び取るよね。

それはなぜなんだろう。

――それは自分が受容する過程だね。受容するのを一瞬で受容するのか、時間をかけるのか。やめようかどうしようかと。それはその人それぞれだ。

それは「経験」でいいのかな?

――経験の積み重ねだね。経験によって差はありますよね。初めてのことがドンと落ちてきたらしにくいかもね。

それが人間なのね。ふーん。

――経験だけでなく、経験をする前に考えて迷うよね。範囲を超えたものは判断できないよね。傷ついたりとか、避けたいと思うと言い訳をしながら遠回りするかな。

遠回りをする、という認識が生まれた時に人は受容している可能性はあるよね。

――ストレートに、ダイレクトに行動しない傾向はあると思いますね。

それがたとえ良いと見えていたり、人間が正義と見えていたとしても

――遠回りをする。楽なほうへ行こうとするとか。これはいいと思っていてもどこかで「?」って思っていることを進めると痛い目に合うね(笑) これは個人的にね(笑)。

なぜこれを聞いたかというと、今いろいろな災害が起こっているから(この日の直前は台風、北海道の地震があった。)それは未曽有だ。急に変わるわけだ。昨日まであった家がなくなるとか。

そういうことが続いていたから聞きたかったんだ。

 

選択肢は自分たちにある

 

――(大きな災害などを)現実として受け入れるしかないけれど、自分の気持ちとして受け入れることはきっと一生できないよね。それを傍で見ていて自分だったらどうするのかって。みんな驚いて見ていても、あれは北海道(2018年9月6日北海道胆振東部地震)しか起こらないことだと思わなくなっちゃったでしょ。

いろんな認識、経験を培っているでしょ。それは一般の家庭でもその専門家でも。そういう情報を集めている人が、どういう形でそれが起きているか、起きやすくなっているか、データとか、目に見える形が出てきたのもある。

その時に人間はどうなのか(どう認識して、どう行動するかetc.)聞きたかった。

――(この質問は)私たちが理解、認識できるレベルで「われわれさん」が表現できていないような気がする。難しい。

これでも精一杯わかりやすくしている。

でも人は見たいものしか見ない、聞きたいことしか聞かない。でも好奇心だけはある。好奇心を発動すると一歩踏み出せる。

それで見えなかったものが見えたり、経験したりということができる。

これでも理解しやすいようにしているが。視点が違うとこれぐらい違うということだ。

――今話をしているのは今後私たちがどういう心構えでなくてはならないという話をしているのかな?

しなくてはいけない、こうあらねばならないということは何一つない。

選択肢は自分たちが持っているんだよということだ。そういう認識は今後持っていてほしい。

(続く)