能登半島の震災の意味を考える

2024年は、能登の震災や羽田の飛行機事故から始まり、現在も日本各地での地震が続く。私たちは、対岸の火事ではなく、これからどう向き合って生きていくか、が問われていると思う。

何を学ぶか?

 

(1月はいろいろあったから)集まるのが2月でよかったね。

――前回の最後に1月じゃなくて2月かなって言ってたね。

1月はダメだって言ったような気がする。

――「われわれさん」が1月は能登で忙しかったのかな。

手助けするのは、能登以外もあったからね。

また、政府がおバ○だから。

今回少し早かったけれども。そのあとのこと考えてないから。

能登以外でも、震度4、北海道でも地震があったり、手前があったり。

――今日、和歌山が4で揺れてたよね。

その他にもいろんなところが揺れてた。

まあ、寝られない。

 

ただ今回、いろんな「学び」が人の間であったみたいだからね。

頼らないで、自分たちで創意工夫で何ができるか、とか、助かった者同士がここの部分、ここの部分はできますという。

コミュニティーも。

いいところも悪いところもそうだけれども。

それを真剣に考えて、震災に遭ってない周りの、過去震災にあった所も震災になかった所も考えて行動していたみたいだから。

そこは良かったなというひとつのところ。

――学んできているんでしょうね。

今、ここの場所に「いる」、「ある」、ということ、ここの場所で何ができるか?

ここだけの家族じゃなくて、本当の意味での(社会の)つながりは何なの? 

というところ。

そういうところをよく見られたんじゃないかな、そして今も動いているんじゃないかな。

で、ちょっと違うぞという部分でみんな動いているみたいだから。

――時期が時期というか、なんでお正月にって…。

一番初めだからだよ。

初めだからだよ。

エネルギーの初めでもあるし、感覚の初めでもあるし、当たり前じゃないんだよ、という部分も含めてだと思う。

――そういう促しも含めた1月1日。

――「宣戦布告」だと言い過ぎか、宣言? ここからはこうですよ、みたいな。

宣言とかではないけど、う~~ん…。

「選べるんだよ」ってことも含めてだけれど、

祈りってなんなのか? つながりってなんなのか? 絆って何なのか?

そこの地域はなんなのか、そこでないところ、見ているもの、対岸の火事ではないものというイメージの中でなんなのか。

政府がやるのではなく

 

そして政府の動き。

今回(能登地震)政府は、後手後手だからね。

政府がやらないのだったら、と適材適所で学んだ人がいる。その中でね。

コンピューターができる人、トラックが出せる人。

自分が動けるから、あっちに行くとか。お仕着せの善意も見たよね? 

――大きな災害が起きた時に動く、こんな組織ができているんだっていうのをいくつか見た。やはりすごく経験を積んで、こういう時にはこういうことが必要なんだっていうチームがいっぱいできてるみたい。

――政府の発表を待たない。3.11の時にすでに政府の動きを待つのではなくて、今できることを動く、というのが大事だって…。

今、何を動けるのか動けないのか、準備できるのかできないのか。

連絡できるのかできないのか。

何を優先順位に、っていうことを本当に経験しながら。

でも当事者が、行く算段がない。そういう場合には政府はどう動くのか、を問われている。

 

1日を生き切る

 

――どうせ大地を揺らすなら、雪の降らない時にして欲しかったよね…。まして元旦なんて。

あのー、人の思うように自然は動かない。

――その通りですけど。こんな時にって。

こんな時にって言うけれど、こんな時という「時」はない。

ただ単に1月1日って言っているだけだからね。

12月31日って言っているだけだから。

――前回、「来年はどんな年になるかな」って聞いたら、来年って何なの? って。

太陽は一日、上がって下がるじゃない。

(昇って沈む)だから一日を生き切るということを考えて行動しているんじゃないかな。

――みんな今年はとか、今週はとか言うけれど、一日しかない。一日、一日。

今年も今週もない。感覚としたらね。

それで生きた時に、

昨日は返ってこない、明日はまだ来てないわけだから、何を込めるか、何を込められるか、とても重要。

人がどうこうではない。

人がどうこうなら、この人はこういう感覚でこういうあれなのね、で止めておけばいい。

自分がどうなのか、重要。

(他人のことは)かまってられない、そんなこと。

――あの隆起(能登半島地震で、海底が大きく隆起)したところを見ると、とてつもないエネルギーですよね。

あれはね、土地神がね、自分の命を削って土地を隆起させたの。

隆起で守った土地神

 

――あの隆起(能登半島地震で、海底が大きく隆起)したところを見ると、とてつもないエネルギーですよね。

あれはね、土地神がね、自分の命を削って土地を隆起させたの。

――隆起させたんですか!?

させたのよ。

だって土地を守っているんだから。

そこの土地にいるいろいろな命、花々、木、土の中にいる者たち、虫、動物、人間も含めて。

あれをやらなければもっと大きい津波が来ていた。

――津波の堤防になったってニュースで言ってたね。

あの隆起はぎりぎりだったんだ。

だから土地神が随分小さくなってしもうた。

みんなの祈りのおかげで消滅はしなかったけれど…。

――能登の土地神さまに気持ちを向けて感謝しなくちゃ。

だから本当にその時、人もそうだけど、身体が動く、心が動くということがあるじゃない、何も考えずに。それでやったことだから。

――土地神さまが。

でも、それだけその土地の人たちの祈りが良かったんじゃないでしょうか。伝承だったり…。

まだまだ捨てたものではないと思うよ。

ただ、人だけが被災したわけではない。

――確かに。

その中で一日生きるということが、どんなことなのか、見ている方も当事者もわかったんだと思う。

色んな所でそういうことがあるけどね。

――でも本当に全体の集合意識かはわからないですが、当たり前は無くなってきた感はありますね。普通に人と話をしていてもそれを感じる。

重要。

 ――今までは延長線上でこのままいくと思っていたけれど、なんでも起こりそうだなって。

それが、「点」なのよ。今日という点。

「線」というのは昨日今日明日という線。

もうすでに終わっているし、始まる瞬間だし、待っているところだし。それ繰り返しだからね。

繰り返しで、あるならば。

――なるほどねえ。

人は存外に弱いからね。

どうしたって、急激な感情とか、それで感情を塞ぐ人もいれば、誰かのせいにしたくて、壊れてしまいかける人もいれば…。

 

思いを馳せ、揺らがない

 

――今、映像の力があって、100年前だったら伝わらなかったー例えばガザの焼け野原だとか、能登の様子とかー子供の時から見ちゃっているし、本当に何でもありというふうになってきましたよね。

だからこそ、そこにいなければ、祈ることができるじゃない、想うことができるじゃない。

とても重要だと思うんだ。

――世界中の人がそれを見て、思いを馳せるとか。そういうことが大事なんですね。

そう。その個人個人で構わないから、その個人個人のいろいろな経験で思いが違うでしょ、立場で違ったりもするし。

政治的にそれを利用する者もいれば、いや、そこではないんだよと言う人もいれば、それは個人個人の経験の中でしょ。

だから、それもありこれもあり、あなたはその考え、私はその考え。

揺らがない、それから執着しない。

(あなたの)これは違うんだ!」っていうのも執着だし。

だからこそ今、発想とか、伝えるとか、良い道具をよい道具で使えばいい。

ただし、道具は道具だから、道具に飲まれない。

――そうですね、情報もものすごくいっぱい出てきていて…。

そしてまた、やはり中にはそれをあまりいい趣味ではないところに使ったり、混乱させるのを楽しんだりする輩(やから)も、いる。

(ただし)揺らがない。思いは届くから。

 ――キーワード「揺らがない」ですね。

(2024年2月)

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