能登半島の震災の意味を考える

後半の記事を更新(3月25日)。2024年は、能登の震災や羽田の飛行機事故から始まり、現在も日本各地での地震が続く。私たちは、対岸の火事ではなく、これからどう向き合って生きていくか、が問われていると思う。

 

何を学ぶか?

 

(1月はいろいろあったから)集まるのが2月でよかったね。

――前回の最後に1月じゃなくて2月かなって言ってたね。

1月はダメだって言ったような気がする。

――「われわれさん」が1月は能登で忙しかったのかな。

手助けするのは、能登以外もあったからね。

また、政府がおバ○だから。

今回少し早かったけれども。そのあとのこと考えてないから。

能登以外でも、震度4、北海道でも地震があったり、手前があったり。

――今日、和歌山が4で揺れてたよね。

その他にもいろんなところが揺れてた。

まあ、寝られない。

 

ただ今回、いろんな「学び」が人の間であったみたいだからね。

頼らないで、自分たちで創意工夫で何ができるか、とか、助かった者同士がここの部分、ここの部分はできますという。

コミュニティーも。

いいところも悪いところもそうだけれども。

それを真剣に考えて、震災に遭ってない周りの、過去震災にあった所も震災になかった所も考えて行動していたみたいだから。

そこは良かったなというひとつのところ。

――学んできているんでしょうね。

今、ここの場所に「いる」、「ある」、ということ、ここの場所で何ができるか?

ここだけの家族じゃなくて、本当の意味での(社会の)つながりは何なの? 

というところ。

そういうところをよく見られたんじゃないかな、そして今も動いているんじゃないかな。

で、ちょっと違うぞという部分でみんな動いているみたいだから。

――時期が時期というか、なんでお正月にって…。

一番初めだからだよ。

初めだからだよ。

エネルギーの初めでもあるし、感覚の初めでもあるし、当たり前じゃないんだよ、という部分も含めてだと思う。

――そういう促しも含めた1月1日。

――「宣戦布告」だと言い過ぎか、宣言? ここからはこうですよ、みたいな。

宣言とかではないけど、う~~ん…。

「選べるんだよ」ってことも含めてだけれど、

祈りってなんなのか? つながりってなんなのか? 絆って何なのか?

そこの地域はなんなのか、そこでないところ、見ているもの、対岸の火事ではないものというイメージの中でなんなのか。

(続く)