疫病はもちろん歓迎されるものではないが、時代の転換期となる気づきの機会を人間に与えているのかもしれない。未来は他人任せでなく、すべて私たちが選べるという意識が大事になってくる。
江戸(時代)のペストもそうだし。はやりの風邪と言われていたスペイン風邪もそうだし。
何かがなければ、何かがこう起こらなければ、人は選択をしないでしょ。残念ながら。
――そうですね。「促し」としていろんなものが入ってきているんですね。
それでお尻を叩かれるのか、は~い、こっちだよ~って餌を見せられるのかの違いでしょ。
――その見せられたエサも選んでいいかわからないじゃないの。
それはさんざん(自分たちで)選んでくださいっていうことを、江戸からこの世界に至るまで言っている人は言っていて、それを信じるか信じないか、そして自分自身の行動力が欲しいものが何なのかという自己分析をしてきたかどうか。
今の人たちはこういうことが出てきたおかげさまで、考える時間が増えたよね。本当の意味での。
――あなたはどうするの、わたしはどうするのっていうことだよね。
私はこうしたい、あなたはこうなのね、っていうことは一番シンプルに自分も相手も認めているってことでしょ。根本の相手を好き嫌いではなくて存在を認めるところに来ているじゃない。
――たしかに。こっちの考え方にならないから、あなただめね、ではなくてね。
仲間だろうと仲間でなかろうと、あなたはそこに存在しているのね、私はこうなのってあなたはどうなの。
――去年から、自粛とか、コロナに気を付ける考え方とか感覚とかで、まず分かれたじゃないですか。
そこで依存する人は依存するし。
――依存しているのか、どうしているのか、どういう判断なのかは結論付けられないし、評価とか批判とかはできないけど。
する必要ないし。
――昨日知り合いからメールが来て、大好きなランチも一年以上してないですって。釧路で人も感染者も少ないのにってびっくりしたんだ。それに対してはそうですかっていうしかない。友人にもこの一年絶対にランチに参加しない人がいるんだけど、そうすると今度これが終わった後、お付き合いが元通りになるのかって考えちゃう。
私以外(の人)と会う、またはいろいろな事柄をする、仕事でも仕事でなくても、組み換えがおきてるでしょ、もう変わってきてるでしょ。意識が変わっているから。
一日一日を生きるということを今、訓練しているんじゃないでしょうか。
――この人にこれを言っていいかって考えちゃうよ。弟にGWに出雲行ったって言ったら、緊急事態宣言中なのにって怒られちゃったし。もうキャンセルできなかったのもあったんだけどね。
その人の正義があるからね。だからそれぞれに自分の正義、相手の正義は違うんだな。
考えや感覚は違うんだなって、そういうところを見ているお方々が増えてるね。
(2021年5月)
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