人間の気持ちは汲み取らない自然の神々

このお話会では、私たちの質問に応える形で、なにがしかのメッセージが発信される。相手のことを便宜上「われわれさん」と呼んでいるが、それが神なのか自然神なのかエネルギー体なのか、10年経ってもわからずに、私たちは対話を続けている。名乗ればイメージが固定されるので、そうではなく、空気のように見えずにしかも常に存在する何がしかの存在であるようだ。今後、大きな天災があっても、それは自然神(仮称)にとっては小さな「掃除」でしかないかも知れない。地球を我がものとして利用する奢った人間たちに情け容赦などないのは当たり前であろうと思う。

自然神に人間の善悪はない

 

――前回、先日の地震(2025年9月30日 アリューシャン列島の地震)は裏天皇の上の上の神様みたいな力の人たちが動いたと言っていましたね。そういう見えない者たちのなにがしかが動いたと言っていたので、活発になっているんだね。

あまり活発になって欲しくないけどね。

人にとって、人にいいものってやるのは人にとって都合がいいものなんだ。

都合が悪いものは、悪いものなんだ。

そういうことを向こう(=神様か、何か見えないエネルギー)は考えない。

――人間でいう「善悪」はないんですね?

ない。

あるとしたら、ここがこうなっているからきれいにして、自然をこうやってやって…、という、生命の部分でやっているだけであって、人間も入っているのだけれども、人間の気持ちは受け取らない

――そこに人間の何が建っていようが、何かがあろうが関係ない。

人間は借りているだけであって、人間の土地ではないから。

――それが洪水であろうが地震であろうが…。

例えば、ここにおできができました、バンっとやって取る、というのと同じ。

――おできの中に家があったり、人がいたりしても関係ないんだ。

そこの部分では、認識、意識、見え方、見方、常識があるのだとしたら、常識は、全く違うから(人間には)わからないと思う。

向こうもわからない、わかろうとはしてない。

――それじゃあ、「われわれさん」のようだよね。 

わかろうとはしている!

今、いっせいに言ったぞ(笑)。

 

神と人との歩み寄り

 

――顔が違ったものね、「われわれさん」としては私たちをわかろうとしてる。そうずっと言っていたよね、理解しようとしているって。

そして、理解しようとしていただいているから、(「われわれさん」は)うれしい。

それが理解できなかったとしても、ある部分のすり合わせや歩み寄りはお互いにできるはず。

――そういうことをするんだね、っていう。それがどうしてこうしてこうなったではなくて。

それはそういう種族だからこうするんだ、って。

こういう生理現象があって、こういう部分でこういう気持ちがあって、こういう気持ちと重なって、こういう行動になるのね、って。

という認識の仕方。

――お互いに面白いよね。

うん。向こうからしたら、コマゴマして見えるんでしょうよ。

え、そこなの? って(笑)。

――こちらは見ようとしても見えないからね。

いや、感じることはできるはず。

感じる、ということはある部分の「見える」ということと一緒なんじゃないかな。

――私は視覚的に何かが見えたことはないなあ。

それはあなたが拒否きょひっていると思うよ。

見ようと思ってもそれで(この世に)来ているわけではないから。

――見る目的は私はあまりないのね。

そう。だから、感じるとか、こんな感覚だな、というヒントをとってもお上手に受け取るじゃないのかな?

(2025年9月)

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