お盆とお彼岸―生きていくすべてが先祖供養

お盆とお彼岸に関しての過去のメッセージをまとめた。お盆や先祖供養は、単純に仏事としてあるのでも、ご先祖様のためだけにあるのでもなく、生きる私たち自身のためでもあることが伝わる。

思いがあれば通じる

――お盆のことや、盆の入りと送りの時のことも知ってほしいね。

簡略化されているけど、思いがあれば通じるから。

迎え火、送り火が焚けなくても思いがあればご先祖様は帰ってこられる

お盆っていうのは、生きている人のためのものだから。

認識するためのものだから。

そして、お盆は帰りやすいわけです。

お彼岸とお盆は。

それだけの祈りがあると、道ができやすいから、それでご先祖様が帰ってくるわけです。

なぜそういう道ができるのかと言ったら、人の祈り、イメージなんです。

それができているわけ。

向こうもその気で待ってるし…。

 

形だけでも良い

あちら側(=あの世)の世界を信じる、信じないは関係なく、お盆はやるじゃない?

形だけでもいいの。

形が残れば思いが残るから。

――行為は大事ですよね。

そう。その行為は、楽しく生きていたお方々と、楽しく今生きている方々の一大イベントじゃない?

そして、ある程度(出てきても)怖がられない時期でもあるわけ、お盆は。

わかるかな(笑)。

そうすると出やすいわけだ(笑)。

――怖いけど、お盆だからしょうがないって…。

夢の中でこれに気をつけなさいとか、こうしてほしいとか、そういう奇跡が起こるわけですよ。

――最近、あちら側と近いよね。

近くなっているんだよ。だから、向こう(見えない世界)で起こったことが、早め早めに起こるんだよ。

いいことも、災害も。しょうがないね。

――怖いね。

今日(話した内容は)濃かったみたいだ。

でも、(何がしかの存在からメッセージは)伝えられたみたいだよ、すごく満足してるから。

(2022年8月)


「先祖供養」というのは、言葉としてよく耳にするし、行動としてはお盆の時期などの「墓参り」だと思っているが、いったいどんなことがご先祖さまへの供養になるのだろう? 供養を考えることが、私たちが今を生きるということへの力強いエネルギーともなる。

生きているすべてが先祖供養

――「先祖供養」というのは、どういう風に供養するの? また、どのようにされるとご先祖さんが嬉しいのかな? 供養されていると思うのかな?

(こちらから)一つ質問。

「供養」って何か?

――そういう存在がいてくれたので自分がある、と考えたり、思い出すとか…。

先祖供養よりも「先祖にご報告」っていう言い方(が正しい)かな。

「自分はこんな風に生きていますよ!」って。

(あなたが)集大成だから。

生きているすべてが先祖供養だ。

あくまでもお墓や御仏壇は、君たちが(先祖を)見えなくなったから、先祖が来てくれていると思う場所。

そこにいるんだと思うこと、信じることができる場所だ。

向こうさんにとって見たら、お墓や仏壇はずっといる場所ではない。

本人とずっと一緒にいるんだけどね。

――お墓に行けば思い出してくれるんなら、お墓に行こうかって。本当はいつも一緒なんだけど、と。

そうそう、気持ちが嬉しい

忘れられていないんだ、ということが嬉しいからいいんだけど。

 

今のあなたが先祖の代表

ただ、無理してお墓へ行くよりは思い出した時にお茶の一杯も置いて、その人が生前好きだったものを好きだった場所に置くとか。過去帳があれば、亡くなった日に好きだったものを供えるとか。

(そうした)行為によって温かい思いになる。

その思い、それが返った時に子孫が守られる。

朝起きたときから供養だ。

――寝ているときは?

寝ているときは向こうに行っているから、供養じゃなくて(ご先祖と)一緒に遊んでいるんだ。勉強したり。離れようがない。

何億人の最先端(ボールペンの芯を指しながら)が自分。

(あなたが)先祖の代表として生きている。

 

死後の世界

死んだあとはあまりにこの世界と似ているので、(死人は)元気になったとか誤解をするんだ。

でも、(この世の人は)誰も気が付かない。

お葬式なんかに行くと私は目が合っちゃったりして、困る。「私は元気になったんでしょうか」って…。

まあ、元気になったっていえば元気になったんだけど、でもちょっと違うんだけど…身体燃えちゃってるしって(笑)。

 

お墓とお盆

もともとは山の行、里の行、海の行があるんだけれど、植物と話ができる、死んだ者たちと話ができる、おくりびと、さきおいびと。

いろんな職業があった。

自然と暮らすと感覚が鋭くなる。

自分を守るために、または周りを守るために。

でも(現代の人は)どんどん愚鈍になってしまった。物が増えれば豊かなんだけどある意味、貧乏になってしまった。便利になり過ぎた。

ただ、思いは退化しなかった。

その思いの形を表現するのがお墓や、仏壇、寺の供養。

お盆とか(そういう供養の日)は、誰が思っているのか、生きている人間が思っている思いだ、お盆だからご先祖様を供養する、という思いがあると、そのように気が動くから向こうの人が帰ってきやすくなる。道ができる。

こちらが思いをかけなければ、向こうも反応できない。

細々でいいから、誰か思い出してくれれば、機能していく。

――日々、一人で思っているだけでも、何億人も、供養しているかもね。

もちろん、何十億人だ。

身体があっても、身体がなくても思われている、その人をその人として忘れていないってことはすごく嬉しいことだ。

亡くなった後、誰も自分のことを思い出さなければ、すごく悲しいじゃない。

思い出すって、フって思い出す。

忘れられてなかったって。

(2015年6月)


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