大義だけで「自分」のない人、なくなってきた音を大切にする(社会・政治・宗教)

今回のメッセージで、大義ばかりを主張するのは新興宗教にも言えるし、過激に平和を訴える活動家、政治家にも同じことが言えるだろう。そうした人間が世間の目に見えやすくはなってきた。一方で、内省にも目を向けて、生活音を含めた「音」に耳を傾けるというメッセージも掲載しておきたい。

自分で決められない人々と、大義ばかりの人

 

――新興宗教って、なにか傷を舐め合っているという感じがしますが…。

あれはね、ごまかしあっているの

自分で何も決めたくない、どんくさい人たちが、ここの教祖さまが決めてくれるから~。

教祖様は年を取ると、二世じゃないけど、弱小の所でも、拉致してあんた教祖になって、っていうのが多いから。

そういう人たちって、だまし討ちも正義の名の元に、だから。

大義名分が好きな人たちと、それでいいのかなっていう人たちとはもう一緒になれない。

(そういう大義の好きな連中とは)二分化されている、それを冷静に見ることが一つ、仕事でかかわる場合には無表情が一つ。

感情を動かさないこと。これはとっても重要。

感情というものは好物だから。

感情を逆立ててくるから、いかに自分が正当か、なの。いかに自分が被害者なのか。

そういう言葉が好きだから。

――そうやって人をコントロールしたがる。

コントロールというより、しがみついてくる。

自分が何も持っていないのを知ってる。それを認めたくない

(※ 稀に統合失調症の場合もとり憑いてものがあるが、当人にしたら病気である。治りたいと言っても、それを理由にしている場合は治癒しない)

人を見るときに目。

最近は目の焦点が定まってない人が多い。

お薬を飲んでいたり病気を持っていたりというのはしょうがないんだ。

でもわかるじゃない。意思を持っていない人。

――あ~空洞なんだ。

そう、人にペタッとしようと絶えず探している、そういう感じの目はすぐわかる。

どんなにニコニコして、一見落ち着いているように見えても、よく見ると目の焦点が合ってなかったりする。

人の話をそうですか~って聞いていてもね、そして人の言葉を食べちゃう人もいるから。

「そうねそうね、私はこうだったのよ~」ってかぶせながら取っちゃう。

でも、周りに聞かせるのではなくて、自分の自慢をしたいだけの人とか、そういう人が増えている。

仕事での場合でチームに一人いたら大変だけど、扱い方はよく見てみると至極単純なところはある。

 ――なんとなくみんな気が付いてくるんですよ、そしてそういう人からは離れるんだよね。

 

関連記事

新興宗教と政治利権の共通テーマは「人を操る」ことだという。人民を操れるかどうかという実験は私たちの知らないところでも行われているのだろう。振り返れば、過剰に恐怖を煽られたコロナと、タイミングよく登場したワクチンも、一つの民衆コントロールの実[…]

コントロール、操る

 

見やすくなってきた世界

 

あのね、わかりやすくなってきた。本人も隠せなくなっているんだろうね。

――それで、ここから世界に話を広げたいんですけど…。 

世界から、こういう小さいところへとクローズアップされてきたんじゃないのかな。

――世界がこんなだから、こっちもわかりやすくなってきているってこと?

そう。それはなぜかといったら、みんなが対岸の火事ではなくて世界を見始めたから。

何ができるんだろう、何ができないんだろう、この情報は何だろうと真剣に考え始めた。

だから見やすくなったんだ。 

――それが個人にも来ているんだ。

なぜなら個人は個人でしか動けないから。周りが見やすくなったわけ。

大量に外国に行って、なんてことはできないから。今は外国に出る時期ではない。

今やるべきことは身体のメンテナンス

周りをちょっと観察してみる、なんでこの人とは合わないと思うんだろうなとか、こういうことがあるのか、それは気を付けようとか。

自分の行動を見る時期

 

音を大切にする

 

それから、今こそ、音霊おとたまを大事にしてほしいの。

音がなくなってきつつあるから。

歩いていても何していても。

――どういうこと?

昭和のときはいろんな音が鳴っていたけど、今は鳴ってないよ。変な音ばっかりだよ。

音楽もそうだし。

――普通に子供の声とかも聞こえなくなったね。

音霊を気を付けていたらいい。特に神社巡りとかしているときは。

ぎすぎすした雰囲気、怒鳴る声、そういう音が多くなったよね。

――私はそういうのが本当に身体に堪える。

子供の遊んでいる声、歩いているときに聞こえる音楽も減った。

――住宅街で、子供のピアノの練習の音とか聞かなくなりましたね。家事をしているまな板の音とかも…。

そういう和議の音を探してみるのもいい。なくなったわけではない。

例えば小鳥が来て鳴くとか。それは場がいいからね。鶯の練習の鳴き方とかね。

そういう鳥の鳴くところは気がいいから、疲れたらそういうところに行くのもいい。

おもしろいよ、それをわかっている人たちだけがこそっと動けるじゃないですか、それを観察しながら。

そこにどんな学びがあるか、だから。

※ 音霊に関しては、「竹内文書と音霊」という過去記事があるので、参照いただきたい。

 (2026年3月)

より多くの方々にこのブログを読んでもらいたいと思っています。記事がご参考になりましたら、以下のクリックもお願いいたします。おかげさまで、ランキングも上がってきています。ブログランキングでは、他にもおもしろいブログに出会えます。

人気ブログランキングへ

精神世界ランキングヘ