怪異

(何事も)選ばされているように見えて選んでいるのも自分たちだ。だから選択に自由がある代わりにおケツ拭きも自分なんだ。責任もね。それが経験なんじゃないの?

―今の時代だからこうやって発信しているけれども…。

私は今の時代だからとは言っていない。

―例えばこの場が江戸時代だったら?

同じこと。ただし言葉のあり方、言葉の使い方、表現の仕方、場所、人数は違うと思うよ。

―そうでしょうね。でも聞いている人たちが違うと思うよ。

江戸時代の人たちの方がもっと優しいよ。怪異(現実にはないような不思議。妖怪なども)が多いというのは当たり前のように受け止めていたから。

―今、哲学論、生き方みたいな話をしていたのに、いきなり「怪異」になっちゃったよ。

いや、同じことだよ。(昔は)わからないことは皆、怪異だった。それに畏怖が入ったり、尊敬が入ったり、恐怖が入ったりして変わるでしょ。恐怖が入れば怪談だし、畏怖が入ればそこが聖なる場所、もしくは禁断の地という悪しき場所。尊敬があれば神社とか仏閣とか。でも怪異であることには変わりがない。怪異はそこにあるだけなんだけど、人間が見てどうとらえるかで変わる。それは今も昔も変わらない。

―江戸時代に怪異だったものでも今は説明ができるものがある。今、怪異、いやおかしい、そんなことはないというものも説明できる事柄になるかもしれない。

説明できる事柄もたくさんあるし、逆に説明できない事柄もたくさんある。だから人も含めて無限な力、エネルギーを持っているんだよってことだ。想像するのは人間だから。想像をエネルギーに変える場があるかもしれないじゃない。

―余計なことがなかった分、昔のほうが人としての力を発達させるやりやすさがあったかも、しれないね。

闇は闇であってその何物でもなく怖いものだった。人同士助け合わなければ生きていけなかった。江戸のころは隣組とかあった。見方はそんなに変わってないけれど、頼り方が変わったんじゃないかな。トップがいてあっちが悪いとか、こっちが悪い、世論がどうのとか(もね)。(2016年12月)

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