死後に「裁き」はあるのか、ないのか?

人間は死後、神に裁かれると信じられているが、そうではないらしい。善人も悪人もなく、死後に裁くのはただひたすら自分自身だという。下の関連記事も再読したい。
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裁くのは自分

 

みんなが言っている閻魔の鏡というのは自分自身の心象、経験したことを。

鏡みたいなもの、自分が一番よくわかるもの、ビデオというならビデオだし。

それで忘れていたことを見て思い出している行為にしかすぎない。

別段それによって恥ずかしいこともあるだろうし、怖いこともあるだろうけれど、見るのは自分だけだから。

――誰かに裁かれるわけではないんですね。

裁くのも自分。

なぜなら、自分に嘘はつけない。

絶対につけない。

騙そうとして、あまりにも強くやって忘れてしまうことはあるかもしれない。

自分自身をちゃんと保つために。

だけれど、移行(=死)したときには、その如何ではない、思い出すから。

 

生きている間に、例えば詐欺師がいました、でも詐欺しているって自分で分かっているわけだから。

嘘つけない。

人に嘘をついて騙したとしても。

だから自分で自分を裁く。

だからそういう人たちは眩しいところに行くと、きついの、逆に。 

――極端に言うと、本当に狂ってしまった人で何かやってしまった人もいるじゃないですか。

裁かないでしょ。

それは自分自身を自然に出しているだけ。

そして偶然はないんだ。

殺される人も殺す人も。

それが「視点が違う」ということ。

「人」の視点だと、あの人を殺して…、って。

殺された人は過去の部分(過去生)において、逆に殺していたとしたら?

殺し、殺されというのもある。 

――全部が全部そうではないだろうけど…。

そうだね。でも視点が違うと、確実にどっちも悪くないとなるわけ。

どんなに残酷なことでも。

あのヒットラーでさえ。

だから視点の違いは人にはわからないかもしれない、今の段階では。

それが「ある」ということだけは伝えておく。

 

そして、頭ではわかってもというのがあるだろうから。

――感情はついていかなかったりするね。

他人様ならそう言えるけれど、自分の身内だと、っていうこともある。

でも、みんな身内なんだよ。

だからその視点もあるよ、ということ。

だからどの視点で何のためになぜそれを見せられるのか? というのもひとつだよね。

偶然はないから。

そこの部分はそれぞれがなぜ今ここに立っているんだろうなという疑問から、見てみてもいいんじゃない?

わからなくなったときには。

決して手を離すわけではないから。

とても重要なことだけど。

(2026年1月)

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