三途の川にいる「おばば」
そっち(あの世)へ行って、逆に会ってはいけないのは、三途の川のおばばと、おじじと、なんだかわからないところでスープを配っているおじじと、一見普通の姉ちゃん風のねえちゃんと。
この4人は絶対的に会わないほうがいい。
――僕ら普通の人たちはここへ行っちゃうんですか?
例えば三途の川のおばばにつかまると、身ぐるみ剝がされて、お前はこっち、お前はこっち、ってやられちゃうから。
逆らわないほうがいいから。
――あなたはこっちって言われたら、行っちゃうの?
――逃げようがなくなるんじゃないの? 意思がある無しではなくて。
ルートに乗っちゃうの。
逆らわないほうがいい。
おばばを見たら遠くにいても逃げよう。
――逃げられるの?
むこうが気付いてない時にね(笑)。
――結局スープを飲んじゃうと生まれてくるときに全部(前世記憶を)忘れちゃうんでしょ。
それからレテの泉というところに浸かっちゃうと忘れちゃう。
――みんなその泉につかっちゃって忘れちゃうのね。
――そのほうが、本来はいいんですよね。
経験するならね。
でも私は欲深なだけで、覚えていることは意地でも覚えていたいじゃない、経験で。
苦しいことも悲しいことも辛いことも楽しいこともあったわけで、その出会いもあったわけだから。
――三途の川とか、おばばとかは死んだ直後に出てくるんですか?
死んでから、だいたい24時間の間かな。
身体から抜けて、早く自分の自我、意識を取り戻さないと、ぼ~っとしているとつかまっちゃう。
三途の川を見たら、右!
――なかなか自分が死んだという認識は難しいかもね。川を見たら死んだと思うのかな。
川を見たら、右に行け!
川を見かけたら、右!
――右なのね(笑)。右に行くと何があるの?
川が細くなって、川が流れてくる「愛」という部屋に入れる。愛はあるだけだけど。
そこに入ると、「あ、こうなんだ」って思い出す。
自分の元来のもの。
無条件だってことを思い出す。
そこにはオババが入ってこられない。
――みなさん、そんな前のめりに真剣に聞くんだ(笑)。Lさん、娘さんに死んだら耳元で右に行けっていうように言い聞かせそう。
一番一般ピープルがわかるのは、川、右!
それで、おじじもおばばもおねえちゃんも追ってこられない。
――スープはいつ出てくるの?
スープは、髭の生えたおじじが持ってる。
いらないということもできるし、飲むこともできる。
――飲むと前世を忘れちゃうんでしょ、飲まないほうがいいの?
――どっちがいいのかな。いろいろ選択があるんですね。
要は、自分の選択でいいの。
あくまでも、どこに居ようと「自分」なの。
――死んでも、「自分」なんだ。
死んだら、もっと「自分」だよ。
向こうは自我(=自覚の意味か?)が強いやつが、存在価値が強いんだ。
――要するに、自分のことを全体的にわかることができたら、自分がこうだって逆に決まってくるでしょ。
今ここにある自分、という自覚。その訓練になる。
私はどこにいても今ここにいる自分だ。
そして、どこにでもいる自分だ。
区切れない「私」
――よく、どこにでもいるっていうけれど、それはこの世界には私ひとりしかいないという考え方だから、どこにでもいるっていうのかな?
そこまで深く考えていない。
私(=「われわれさん」)は私の表現として、どこにでもいると言っている。
エネルギー体として、ここにもいるし、他のところにもいるし、地球の中にもいるし、外にもいるし、どこにでもいる。
――どうしてもそれがわからないの。意識が飛ばせるということなの? 意識が広がっているということ? もちろん三次元的にいるとはいわないよね。
うん。肉体はそれぞれあるけどね。
――え、そんなにいっぱいいるの?
能力者同士の部分で。
これ(=自分を指して、肉体)はあくまでも入れ物だから。
――Rさん1,Rさん2,Rさん3がいるの?
いるし、他の名前の1、2、3、もいるんじゃないの。
シェアしあうんだから。
――それはあなただからそうなのであって…。
いや、わかっている者はそうなんじゃないの。
われわれのものだとして、わかったら使いたいじゃない、そして使うのならうまく使いたいじゃない。
それぞれの底に入る種族、人間に使ってもらえたら喜びじゃない。
うまく使ってるの?っていうのはあるけど(笑)。
――今、この会ではあなたをうまく使っているとは思うけどね(笑)
地球を抱きしめてもいるし、地球の中にいて抱きしめられてもいる。という感覚かな。
――へえ~、想像するしかないですね。
ある一定の物の中に入る場合もあれば、大気として願いやいろんな振動、人は願う時にきれいな願いごとは粒子が細かいんだ。
我良しの願いは荒いんだ。そういうのを見ていたりね。
――大気と考えると、どこにでもいますね。それなら、わかりやすい。区切りがないし。
区切る必要がない。
ただ、ここ(ここにいる)の4人の中でも、私は私だし、MさんはMさんだけれども、私はMさんでもあり、Mさんは私でもある。
それぞれの物を体現するために鏡としているわけだから。
――なんとなくわかります。
だから、一人だし、その他大勢だし。
――あの世の話はおもしろいですね。記憶を失いたくない。
そしたら、右だ!
木が見えたら、おばばの木だから、逃げろ。
誰にでも出てくる三途の川
――死んだあとは、等しくみんなその場面になるんですか?
なる。
日本人は特に三途の川を89%見てる。
外国だったら、野原だったり、山だったり…。その土地の習慣とか伝承が出てくる。
でも行くところは一緒(笑)。
日本人が外国で亡くなったとしても、三途の川が出てきます。
――たぶん私のほうがLさんより先に行くから、見てるよ。あ、右に行ったって(笑)。
それか、私を呼ぶか。
私を呼ぶのは言葉ではなくてイメージだから。
向こう(死後の世界)に行ったら、自分がここにいる、存在している、という意識が一番重要。
――おもしろい、なんとか死んだときに意識を持っていたい。
大丈夫、持てるから。そして、一番は川を見たら右だから。
そして右に歩いているうちに自分を思い出すから。
川の上流に行くわけだから。
――全然私は話を信じてないなあ(笑)。
幽体離脱でも行けるよ。
幽体離脱するやつあるじゃん。音楽を聴いて。
――ヘミシングね。昔話題になってたよね、でも頭がおかしくなるって言うよ。
そりゃそうだ。
幽体離脱をうまくできたら、川を思い浮かべて、川が出てきたらなるべく誰にも会わないように、右にずっと行くと、ふっとした時に違う場所に出るから。
そこに太陽みたいな、でっかい紫色みたいな、いろんな色の混じったのがある。
それを見ていると水みたいな液体があって、砂地があって、そこでエネルギーを浴びるんだけれども、無条件なんだ。すべて許されている。
――それが愛?
そう。包まれてもいる。
――知り合いの人が、死にかけて三途の川を渡ろうとしたら、向こうから子供が来るな!ってすごく石を投げてるんだって。それで戻ってきたって。
それは助けようとしたんでしょ。
おいで~って言っている奴のほうが怖い。
――本人はすごく行きたかったんだって…。
まだ(死ぬことが)許されなかったんだ。
行かないでって本気で心配して思っている人が耳元で言っているから、先祖さんが帰れって、厳しい顔して立っている人ほどその人のことを思っている。
――臨死体験の人たちが川を見たっていうのは、三途の川まで行ったってことですか?
そう。日本に生まれて、いろんな観念が刷り込まれているわけだから、それを見せた方が向こうに行きやすい。それだけのこと。
諸外国だったら、草原だったり、山が割れるとか、その人の観念。
――ただその法則は一緒なんだ。
全くそう。
見方が違う、だから集合意識の観念だと思う。
死にまつろうことの部分では3回。
人を助けに行ったのが何十回。
「行くの? 行かないの? 選べるよ、どうするの?」って、おばばから引き離して、ある場所に連れて行かないとめんどくさいんだ。
――「おばば」って表現が面白いですね。
おばばは、おばばなんだよ、鬼婆みたいなかっこしてるから。
三途のおばば、奪衣婆だよ。
――阿弥陀如来来迎図のように、たくさんの仏様が迎えに来るっているのとは違うの? ランクがあるの?
ない。それはお坊さんがそういう図を作って宣伝したのが始まった。
(続く)
自分の光と、守護霊
――チベット死者の書では、あの世に行くと「光が見える」という言い方をする。
そう、光は、なんて言ったらいいのかな、自分にも光があるんですよ。
オーラ、オーラの下にある自分を守る光、もともとの自分の光。
それが光りながらすうっと出た時に、道として見えるんだよね。
――その光の先に、おばばがいるの?
いや。光の先にいるのは、ずっと共に歩んでくれた主護霊さん。主人の主のほう。
守るではなくて。
興味関心の高いであろう「守護霊」だが、意外に質問することが少ない。このブログに掲載するものは特定の宗教への誘導は一切ないため、この守護霊の存在をどう感じるかもあなたまかせである。ただ、このメッセージを読めば、自分が一人で生きているのではない[…]
――その光の中に入って行って、そしておばば? まだ?
いや、行き方に、2種類あるんだ。
光に入って沿っていくとそのまま守護神といっしょだから、おばばは出てこない。
川は出てくる。
トンネルを抜けて、きれいな花が咲いたなだらかな草原が出てきて、林があって、こっちに川があって、一緒に主護霊さんと、渡るから、おばばは絶対に出てこない。
――じゃあ主護霊さんと一緒に行かないと。
行ったらそのまま行っちゃうよ。
――え? どう違うの? 主護霊さんと行くのとおばばが出てくるのと…。
おばばは身ぐるみ剥がして、お前はこっちへ行けとか、お前はここに行けとか。
――あまりいい場所に行けない人が、おばば。
うん!
――ちょっと頑張った人たちは主護さんなんだ!
うん。
――じゃあ、Lさんはおばばに遭わないかもしれない(笑)。
でも、三途の川で右に行きたいのにそのまま渡っちゃうことになる。
――それでも右に行った方がいいの?
行きたいのであれば主護さんと一緒に来ることもできる。
ずっと右に行くと瞬間ある場所に入る。
――それは愛があるところって言ってたよね。右に行かなくて川を渡っちゃうと?
右に行かなくてもいいよ、だいたいが行かないんだから。
ただし、(Lさんは)知りたがりだから。
――じゃあ、そこの場所、部屋に行った方が、ランクがいいのね。
自由になる。自由度が高い。
そこの部屋でエネルギーを補充して、本当に愛の部屋だから、無条件ということを1秒でわかる。
――よくランクがあるっていうじゃない。おばばに振り分けられる人たちと。
中の下ぐらいの、どっちにも行けるような人がおばばに捕まるとえらいことになる。
後は、ギャンブルに狂ったとか、虐待したとか、ろくでもないことをしたのは、もれなくおばばの真ん前に出る。
おばばの真ん前に出る人間はだめなの。裁かれるの。
――少なくとも、まずはおばばに会わない生き方をしなくちゃね。
木があるんだ、それはおばばの意識でいろんなところに移動するから、枯れてたりする変な木だから、ちらっと見たらわかるから、向こうは観念が強いから。
木を見たら、逃げろ。
おばばがいなくても逃げろ。
こちらのお葬式は、むこうの誕生日
――こんなに今あの世のことを勉強しちゃっていいんですかね?
そういう人に巡り会うかもしれないじゃないか。
――その意識は持っていたいですよね。
その意識を持っているために、死んだときに名前を忘れないこと。まずは。
向こうに行ってそこの部屋に入ったら、いらなくなるだろうけど、選択はそこですればいい。
でもそこまでは自分を保つために名前って大事だから。
――戒名をつけるのは現世を忘れるためっていうよ。
むこうで生まれるという意味での名前だから。
こっちのお葬式は向こうでのおぎゃあだから。
――私は死んだら流れに任せていきたいって思うけど、Lさんは知りたいんだよね。
――ここまできたら(笑)。例えば、殺人とか悪いことをやっていたやつは。
あのね、この世界というのは、たとえどんなにそれが鬼畜だと言われることも、これは理解できるかわからないけれど、この世界は偶然はないんだ。
いろんな意図(/糸)が絡まってそういうことが起こる。
だから、われわれの眼から見ると、非道でもなんでもない。
殺し、殺される、そういうことをやっている御霊かもしれない。
この世のここだけを見ていたらすごく悲惨だけどね。
――でも、ずっとすべてから見たらばしかたないね、かも。
それが、もうすぐ終わるかもしれない、ここの部分で。
うまく終わるかな、選択はどうするんだって。
裁くのは自分自身
――この世でそういういろんな意図がからまってこの世でそういうことを犯しても、あの世に行った時には裁かれるんですか?
裁かれない。
さっきの裁くというのは行き場所を裁くだけ。
お前はそこで苦しんでろ、とか、人間じゃないからこっちだとか。そこへ行って自分で自分を裁く。
だって、脳みそで想像したことも含めて、(死後)全てがビデオで出てくるから。
ビデオであるならば。自分がさもそれを経験しているように出るから、自分が自分を裁くんです。
やったおケツは自分で拭くの!
――こんなひどいこと私はしちゃったんだ、こんないいこと私はしちゃったんだ、って全部。
そう。全部!
それでこれは過剰だったな、これはやりそこねたな、これは終わったなって。
だから、選択肢は自分なんだ。向こうへ行った時に楽なような生き方をしていればいいだけ。
だから裁く人はいない。
裁くのはおばばだけだよ、おばば、おじじとおねえちゃん。
――まだ自分の人間としての意識が行き場所を誰かに振り分けてもらわないと、っていうのもあるんじゃないかな。
それもある。
――まあ、死んでからでいいやって思ったり(笑)。
そうならば、何が優しさかというのを極めて見ていかなと。
――何がいいことかっていうのが、不思議な気持ちになります。
(2025年5月)
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