死後の走馬灯と経験

私たちが死後に持ち込めるのは「経験」だけだという。走馬灯を見せられ人生を振り返ることになるらしいが、記憶する身体にある機能が存在しているという。

死後に持っていけるのは経験だけ

何度も言うようだけど、(人が自分の行動を)選択するのは自分だから、選択を間違えることはないし、それぞれの経験の中で。悪い選択を選ぶわけがない。

経験があるだけだから。

――例えば大変なことがあって、なんて馬鹿な選択をしたんだって思うかもしれないけど、それもOKなんだ。

OKです。

なぜ?

その選択をして、そういう感覚になって、何を学んで、何を学んだがゆえ、わかったがゆえ、動けるか(が大事だから)だ。

だって実感して選択して、自分で経験しないと動けないでしょ、人間は。経験がすべてでしょ。自分の中に裏付けがあるでしょ。

――死後に持っていけるのは「経験」だけなんですね。

経験の部分だけ。

それともうひとつ、まわりの感情ってあるでしょ、「コノヤロー」っていうやつもいれば、「ありがとう」っていう人もいる。これも持っていける。

「すいません、すいません」っていう気持ちでいくのか、「ああ、こういうふうにつながっていたんだ」っていくのか。それは生きざまでしょ。

――それも大きな意味での経験だよね。感情の経験。

 

死後に見る走馬灯

これはやり終えた、これは中途半端だったって。(死後に)走馬灯を見せられる。

走馬灯っていうのは整理するためのもので、評価、罰するものではない。

――49日の間の走馬灯を見るっているのは…。

そう。罰するものではない。

自分はこれが足りなかったからこの次生まれる時はこう経験したいとか、選択するには見なきゃできないでしょ。

――見返すわけですね。では80歳まで生きたら80年分を見るんですね。

そうです。生まれる前にお母さんの身体に宿ります。だいたい3か月くらいかな。そのあたりから走馬灯が出てくるのは。

お腹の中にいる間にお父さんとお母さんが喧嘩したり、ほんわかしたりというのも見るわけだ。その思いがわかるわけ。ろくでもないかもしれないし、アツアツで見てられない家庭かもしれないし…。

「選んだ」という認識も含めて見るわけです。

――その、起こったことの映像ってどこに蓄積されているんでしょうか。

心臓の中の脳みそ。

――違うエネルギーか、記憶していく媒体がどこかにあるんだね。

――なんだか、死後の世界、死んでからって、宗教的ではなく、現代の科学的、論理的な説明ができそうな気がするね。人間の機能として。こっちとむこうとネットみたいな感じでつながっていて。

だからひらめきがあるの。ここに(心臓の中の脳みたいなところ)にデータが来ました、脳とつながっている人、例えばあることをずっと考えている人はつながりやすい。だからひらめきがある。あ、こうかもしれないっていって何かができるんですよ。

――死んだら、ここから自分のデータがむこうに吸い取られるの?

それはない! 自分のエネルギー、データは自分のものだから。

でも、吸い取られるのではなくて自分のデータと一体になるっていうのかな。

――それは死後にもっていって生まれ変わってもあるんですね。

もちろん。それが個性になる。

だから、言ったでしょ、私は音楽を聴くことは好きだけれど、奏でることはできない。

生まれる前に何らかの音楽をやっていて、その表現をやりたいと思って生まれてきていたらできるんだ。しみついているわけ。

(2021年4月)

 

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