「死んだあと」のテーマの最終回。死後の世界が決して恐れるようなものではないこと、死後のことを知ることで現生を生き切れるように感じる。(参照「死んだあと(1)」「死んだあと(2)」「死んだあと(3)」)
家族との再会、年齢
―家族に会えるんですか?
もちろん。会える。何十年か先に向こうに行って、修行ではないけどある村にいたり、場所にいたりするんだ。研究者は研究室にいたり。すごくいい研究室だから。そういうところに行ったりしているけれど、あなたが一番わかりやすい形で(家族は)出てきてくれる。
例えばお父さん、お母さん、兄弟とか、亡くなった年齢、年代で出てくる。
―よく言うじゃない、若い時に亡くなった旦那さんが年取ってから亡くなった奥さんにこんな年寄りは違うって言われたらどうしようって(笑)。
全く問題ない。向こうでの一番上は二十歳だよ。ばあさんにはなれない。なりたきゃなってもいいんだよ。
―90歳で亡くなっても二十歳?
二十歳になる。
―やった!
やり切って死ぬ
ただし自分たちが「私は中途半端になったけど、ここまでやり切ったよ、そこそこ。」そういう風に生きて満足感を得て死んでほしい。っていうか、村へ帰ってほしい。さっさと。
―うろうろしないでね(笑)。
そうじゃないと、「あたし誰?」「死んじゃったの?」ってなる。
―私は親を知らないけどわかるの?
むこうが知っているからわかる。
―おもしろがってうろうろするのも四十九日だからね(笑)。
100日過ぎたら、はたくよ、めんどくさいから(笑)。
―今日、年末になんて話だ。
―いやいや、おもしろい。
でも重要な事よ。
こういうこと(=死後の世界のこと)を和気あいあいと、にこやかに学べるところがもっとあるといいね。ホスピスも病院も、図書館も、どこも。
―超能力者の子どもを育成するよりも、こっちを先にしたいね。
大人を育成したい。大人はたぶん知らないだけ、知らされていないだけ。
興味のある人はいいと思う。ただし全面的に頼られてくると、逃げるけどね。
―だから宗教になっちゃうとまた違うしね。そこがむずかしいね。説法ではなくて。
そう、自分で考えてこんなことがあるよってだけ。だから笑えるかが重要なのよ。
―笑いながら死後の世界っていうのも面白いですね。
(2020年12月)
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