前回の続き。茶飲み話のように語られる死後の世界であるが、内容は多くの示唆に富む。死んだ人に死んだことがわからせるために葬儀など昔からのしきたりがあるという話から。
死んだ直後の世界
―皆覚えておこうね、死んだら死んだってわかるようにしておきましょ(笑)。
―死んだって本人は気づかないものなんですか?
気づかない。
―え~ 気づかないものなの!
あのね、亡くなりました、鏡には映りません。
でも見えてる景色は一緒です。
聞こえているものは一緒です。
身体が無くなるだけだから。
―相当興味あるなあ。死後って。今死にたくはないけど(笑)。
―私、新聞記者だった叔父のお葬式で「死んでみるもんだな、おもしろいぞ」って言われたような気がしたの。
それは言われたんだよ。その人がすぐに死んだことがわかったのは、いろんなことを勉強してたんだろうね。やり切ったんだろうね。
―その叔父はがんで闘病していたからね。そして、本当に口調もそうだし、言いそうなことだったんだよね。きっと記事書きたくなってたかもね(笑)。
四十九日のあと
―で、四十九日が過ぎて、行く世界はどこなんですか?
まずはみんなが思っている世界ってあるでしょ。
たとえば、三途の川、エンマ大王、そういうところに行くだろうね。ある、と言う人にはあるんだよ。
―欧米の人は違うっていうよね。
場所はあるんだよ。どこに行きたいのってこと。広いんだからあそこは。
―その人が生きてきた感じのところかな。
それはなぜか、向こうの御方々が、強制的に行かせるのではなく、自然に自分から行くんだ。
それがある人から見たら地獄に見えるし、ある人から見たら天国にみえるし。
―地獄はあるんですか?
厳密にいえば、無い。なぜなら自分を裁くのは自分だから。
この世の中でしかできないんだから仕事云々は割り切ってやって、そのほかの部分でいかに自分を満たすかなんだ。
そして相手を満たすかなんだ。
要は相手を満たす、自分が満たされる。自分を満たす、相手も満たされるわけだ。
それが明確になっていくんだよ。
―それがはっきりとみんながわかって生きていったら、この世はいいねえ。
だから、来てるよ、パラダイスって言ってるじゃない。
それぞれにとってのパラダイス。
(続く)
(2020年12月)
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