自分で選ぶ
――差別と区別も、押し付けられるのではなくて…。
押し付けられれば「差別」になるでしょ、あなたはこれよって。(それは区別とは)違うんだ。
そして必ず、自分で選んだ、区別するって、選んだっていうのは楽しいわけじゃない。
自分で選んだんだから。そして責任もとれます。
今まで選ばされたように見えることって責任がないような気がするじゃない。
だけど、区別と差別の違いはあからさまに誰が見てもわかるじゃない。
――繰り返し、おっしゃってこられた「選択肢は自分にある」っていう。どちらを選ぶのと。
どちらを選んでもいいし、どちらも選ばなくてもいい。
――それの実践が始まるんだ。
そう。でね、答えがあるときもあるし、無い時もあるから。
一番初めには答えがあって過程があってカリキュラムがあるだけだから。
答えは最後ではなく最初にある。
それを人はときどき「目標」とか、そういうものに置き換えて言ったりしてるけどね。
――この前に(降りて)来た人と違う人だねえ(笑)。混乱しすぎたからわかりやすい人が来たのかな(笑)。
わかりやす~いのだと思う(笑)。
――これまでってみんなが平等で並べられて競争で生き残っていく感じだったんですけれど、そうじゃなくて棲み分けていくんですか?
それぞれが。ピラミッドではなくなっていく。
誰かにここにいてと言われるのではなくて、自分自身が選ぶ。
手助けを求めてもよい
――選べない人は困りますね。
いやいや、「私はこうなんだけれども一緒に動いてくれる?」でもいいわけ。
適材適所っていうのは動きたい人は動く。
わかんないな、動けないな、というときには手助けを求めればいいだけ。
――そこまでに進化をしきれないと、置いてきぼりになるのかな。
ならない。絶対にならない。合いの手が入る。
――ただその人にとって心地いいかどうかはわからないけれど、そんなふうに分かれていくんだ。
そして面白いのは、動けないと思い込んでいる人は知恵があるから。今までの。
そういう知恵を求めている人もいる。そういう知恵、持っている知識を伝えればいい。そうするとその人は動きやすくなる。
「発信」ということ。発信する側に回ればいい、これもありだよって。柔軟にって。
発信する人は、発信されて嬉々として動いている人を見てまた勉強するわけだ。つらいところから見る勉強ではない。
――人類はいい方向だね。
悪い方向に行ってないよ。
ただどこの場面で見たいか、苦痛で見たいのか、楽しい感覚で見たいのか。
感情、観念、感覚はとても大切になってくるから。
今までにないことだから、ためらうかもしれないけれど入ってみたら意外とこれいいって。チャレンジだから。
――すごく楽だと思う。
だから自分の感情を大事にして、感情がまとまってくると「観念」になるでしょ。自分の。
それをどう使うかだよ。
(続く)
- 1
- 2