経験しか持っていけない

先祖供養の話題から、この世での私たちの「経験」の話へ。棺桶に財産は持っていけないといわれるが、どうやら経験は持っていけるようだ。(2015年6月)

―以前、私の後ろにおさげの20歳くらいの女の子がいるって言われた。その話を母にしたら、あ、それは〇〇ちゃんだと。それを母が思い出したってことはその人だろうと思った。私は全く聞いたこともない人だったけど。戦争中に亡くなっているから、おいしいケーキとか一緒に食べようねと思ったりした。

気をつけなきゃいけないのは、一緒に食べようねっていうと、たくさん食べて、肉だけ付くよ(笑)

―前に言っていた、飲み屋にいるお化けのように(注・以前、飲み屋に飲み足りないお化けが憑りついて、お客が代わりに飲んでるので飲み屋が儲かるという話があった)?(笑)

そういうことで身になったものはあとから落ちるから大丈夫。

―しっかり夕飯食べたのに痩せていたかも!座談会ダイエットだ(笑)。

思いを共有しながらやるのは必要なエネルギーが入って、不必要なエネルギーを受け渡すってことだから、とてもよい供養ダイエットになるよね。

―初めて聞いた言葉だ、供養ダイエット(笑)

先祖供養って、お経をあげたり拝んだりするんじゃなくて、こんなに元気に楽しく生きていますよ!これも先祖様のおかげです、ありがとう、向こうで頑張ってください!これが供養になる。

どんな思いを抱えていたとしても、肉体があるのとないのでは見ているものが違う。見えていると修行にならない。

あの世は時間(という概念)がない、好きなことが職業になる。しばらくすると飽きて、また1ランク上に行く。人を教えたり、子供たちを慈しんで育てることもできる。

この世界にあるものは向こうの世界にあるし、向こうの世界にないものはこの世界にない。できない。微塵も思いにない。表裏一体。幽世(かくりよ)は隠された世。この世界は現世(うつしよ)、つまり向こうを映した世。向こうにあるものは全部ある。

だけれど、この世界は時間と距離がある。それは決められたルール。向こうにはそれはない。

重要なのは苦しかったり悲しかったりすることがおきるのはチャンスなんだなぜなら、その時にしか考えられないこと、行動できないこと、味わえないことってあるから、自分自身が自分自身を感じるチャンスなんだ。

―伏見稲荷神社で大凶のおみくじを引いたのはこのことだったんだって。

でも、災い転じて福となした。福となした瞬間に、言葉で語れることになり、経験になった。自分の経験って一番重要だから。経験の感覚しか、向こうの世界にもっていけない。

なぜそこにいて、なぜそのものが来たのか。目線を変えれば、同じコップでも丸も縦長に見える。悲観的にみるのか、そうでないか。

経験したことはもう来ない。人に話せると言うのは経験したから話せる。経験は真実だから、人に話しても重みがある。聞きやすい。

人は見えるものは案外見えない。自分の見たいものを見たいように見る。どんなに言っても経験をしないと見えてこない。

経験したら、そうかもしれない。これもありかもしれないと思うと、状況、未来が変わる。未来は3か月後はあやふやだからね。人が未来を決めるんだ。人の意識や念、行動が未来を決める。未来に何か欲しかったら、今どう動くかを考えるといい。種をまく。それで未来ができる。未来はいく通りもある。これもありあれもありと思ってやったほうが自分にとってプラスだ。

もっともプラスもマイナスも同じもの、表裏一体だから、バランスと考えればいい。そうするとプラスとマイナスがもともとないものだから、そのまんまを見ることができる。そういうもって行き方のほうが動きやすいかもしれない。

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