他人は自分の鏡

今回は哲学、生き方について。他人とは自分を見つめる鏡であるという内容で、鏡は「加我見」という表現をしたこともあった。ある人に腹が立つときは、どうして腹が立ったかを考えることが、自分を見つめることになっている。

自分の鏡は他人様

―前に「これから何がしたいのか、どうしたらいいのか、何を目的にしているのか」という質問をしようとして、ふと、逆に「あなたは何がしたいのですか?」って聞いてみた。そうしたら、「自分自身を知ること、地球の行く末を見届けること」だって答えたね。

―自分自身を知ることはちょっと置いておいて、この会は地球が気になるから始めたわけで…。だからつながっている人が同じような種類の人が来たんだなって思ったんだ。

そのエネルギーの強い人が「自分を知ること」と言ったのは、昔は自分の鏡は他人様だった。他人がいなければ自分がわからない。そこの中で、それぞれにある自分。

例えば、私ができないことはもう一人の私(他人)がやる。向こうのできないことは自分がやる。そうやって自分を見るということではないかな。 

今それを聞いて思ったことだけどね。そしてそうなると面白いことに常にあっちの人が主役になるんだ。それだと遊びやすいじゃない。

―自分を知るということは一人きりになることではないですね。

一人きりではわからない。「在る(=存在)」ことはできるけど。自分を確定することはできるけど。相手がいて、そこの中で自分を見つめることができる。いろんな人がいるからね。

―周りの人たちに楽しんでもらえれば。その遊んでいることが祈りになり、震えになって広がるんなら、こんなにいいことはないじゃない(笑)

とてもシンプルだからね。いろんなことをごちゃごちゃ考えなくていいんだ。嫌な仕事は割り切らないとできなくなる。割り切らなければね、これはこのためにあって、これがあるから楽しいなってね。

 

嫌いな人の嫌いな部分とは?

―通り過ぎる中で出会う人、好きな人もいれば嫌な人もいる、それも鏡なのかな。

鏡でもあるんじゃない? 人間っておもしろいんだ。好きな人のことは知りたいと思うんだけど、なかなか知ることができない。嫌いな人のことは知りたくないけどいろいろわかるんだよ(笑)

それはなぜか、嫌いな人の嫌いな部分が自分の中にあるからなんだよ。自分の中にあるからその行動すらわからないでしょ。反転だからね。そして、自分の中にその嫌いな部分があると認めるだけで、それは消えていくんだ。

ある部分は自分にもあると認めたけど、どうしても消えない部分が残る場合はそれは相手のものなんだ。反応しているだけだから。

仕事の仲間は仕事の仲間であって、友人ではないんだ。手助けはしてくれるだろうけど。兄弟は兄弟なんだ。なぜなら選んでいるから。忘れているだろうけれども。

―近しいほうが、学びが大きいらしいよ。家族とかね、兄弟、親子、とかね。(2019年3月)

 

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