2018年5月、悪質なラフプレーを行った日大アメフト部の選手が、監督・コーチの指示だったとして、大きな話題となった。ネットでも、監督やコーチへの批判が殺到して、「炎上した」といっていい事態になった。それに対してのコメントであるが、パワハラの当事者というよりは私たちのマスコミへの接し方、生き方を考えたい。匿名での個人攻撃や批判も、他人への八つ当たりの要素があると思う。
自分たちで選んでいくんだけど、頑固になりすぎてしまったり、思い込みで人を動かしてしまったりで、それに慣れていたり。それを誰が滅ぼすのかって、自分で滅ぼすんだ。どうやら日本人はそれに慣れさせられている。
支配したい人は会社の上司でもいるし。でも昔のやり方が通用しなくなった。隠しているものが出やすくなった。日大(日本大学アメフト部のパワハラ事件)もそうだ。あれは昔からだ。
スポーツは清く正しい(というもの)ではなく、出世しやすい、上に行きやすい。だから(世渡りのうまい人間が)監督にもなれた。
だけれど、もうどうするの? どっちを取るの? だ。
それぞれのモラルに照らし合わせる。学校として、法人としてやっていかなくてはならないけれど、そこまでやってそれ(=悪いところを)を切り取りませんかってなる。他のところも今まで中に入って見えなかったところが周りから監視される。
監視するのは正義ではない
ただ怖いのは監視している方が正義だとなってしまうことだ。正義でも何でもない。これはいけない、これはいい、この頑張りは認めようというのはいい。
いいことをしている気になっている人間ほど恐ろしいんだ。
ネットが炎上するのも怖い。顔も見えない。
名も知らない正義、正義感に燃えて思い上がっていることほど怖い。
人に転写する苦しみ
個人がとても大事になってきていて、それにシフトできない人が苦しみながらその罪悪感や苦しみは自分のものなのに、人に転写していくから順繰りに人を攻撃していく。
目立たずにいいなと思うことをしている人たちはまず見えてきた。マスコミ、会社はもっとそうだ。
いい人たちや周りに思いやりのある人たち、ただただ自分がやりたいと思っている人たちの足をつかんで引っぱるか、自分を早く上にあげてよっていうのか。
テレビも媒介になっているよね。そこに本当の正義というのと、やりたくてやっているとそれが正義になっているというのは違うから。群衆というのは怖いから。よく一つ一つ見つめて、だからテレビ、本、噂話も自分なりによく検証するのが良い時代になってきたんだ。
(続く)
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