キリスト教と八百万の神様ー怒る神様はいらない

キリスト教と神道との違いについてのメッセージ。宗教学者の見解ではないにもかかわらず、極めて的を得ていると思う。

 

怒る神様はいらない

 

――(大嘗祭が)終わったあとにローマ教皇がいらっしゃるし(2019年11月末にローマ法王が来日)。

そりゃあ、(ローマ教皇は大嘗祭には)来られないでしょう。

(キリスト教を)バカにしたりしているわけではないけど、一神教でさ、エネルギーが違って、(日本には)怒る神様は必要ないんだ。

そんなことにエネルギー使っている暇はないんだ。

――キリスト教の神様は怒るからね。

だからキリスト教を布教しに(日本に)初めて来たときになぜ布教ができなかったかって(知ってる?)

そこにいた野良仕事している人たちが、農家のおじさんかおばさんが「そっちの神様怒るんだ、うちの神様、怒らないんだ」って。

ありがとうって言って、共に動いて共に成長して共にいろいろやってくださる神様だから怒る神様はいらないなあって言われて何にも言えなくなったんだ。

――まあ、キリスト教も、原始キリスト教は違ったんだろうな。それを人が変えていったんだろうな。

そう、最初は怒る神様じゃなかったんだよ。

だって権力が(宗教を)必要だったんだよ。

怒る神様、仮想的な敵がいなければ成り立たない宗教は悪魔的だよね。

だって仮想の敵をつくらなきゃならないんだもの。

敵がいなくてもいいじゃない。

それぞれの個性を認めて、その人なりのやり方で、もしやり方がわからなければ伝えますよ、教えますよ、でいいじゃない。

中にもあるけど外にもあるよ、でいいじゃない。

日本の神様、八百万の神様はそんな感じだよね。

――日本ってホントに不思議な国だね。不思議だなあ。

だって形代(かたしろ)ですから。

(2019年11月)

 

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