古代エジプトの時代、(ツタンカーメンの)父(=アメンホテプ4世)が、これまでの伝統に疑問をもっていた(ので唯一神アトンの信仰を強要した)が、民衆の支持が得られなかった、という話の続き。
古代エジプトと天皇制の比較
――テレビ番組で言っていたのは、王家の谷を捨てて、その北側にお城を作った(第17王朝)んだ。
神殿を作ったけれど、半分は移動しなかったんだ。太陽の教えの力も知っていた。
それぞれの特色をうまく活かしていた良い時代もあったんだけれど、宗教の対立が出てきたんだ。
それにそれぞれがエネルギーを持っていたから。
それ(=対立)を唆(そそのか)したのは太陽の信仰を持つ巫女さんだった。太陽の巫女は一番下だったんだ。月が一番上、星がその補佐だったんだ。
そして大洪水が起こったんだ。
日本人は例えば一神教が入っても、これをやらなきゃお怒りになるような神様はいらないよってそういう感じ(の文化)。
――それで(古代エジプトでは)天皇制みたいなものはなくなってしまったけど、日本は残ったんだ。
なぜかというと、日本はこれもありだね、でもこれは直そうね、という形で平らけく飲み込んでいったんだ。
日本人は探求心があって冒険心もあって知りたがりだから。知るということは責任が出る。
――みなさんこの5、6年知りたがって聞いてたけど、責任は?(笑)
――人類史上、そのエネルギー体との契約は古代エジプトと、今の天皇制しかないんですか?
そうだったら地球は滅びてるよ。
ある部分では動物と話せるものがいたり、地面の水脈を見たりできるものがいたり、そういうものも契約者だ。細かいところだけれどね。
そのみんなが思っていることはひとつ、
争わないこと、分け合うこと、楽しむこと。
ここだけなんだ。
――もう一度整理させて。古代にエジプトにも代々地球規模のエネルギーを受けて発信装置みたいな人がいたけれど、争ってダメになった。天皇も同じシステムなのかな?
似たようなシステムだけど、天皇は少し違う。
それ(=天皇制)は「和をもって正」とするからね。
(2018年3月)
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