諏訪の大祝(ほうり)について

大祝(おおほうり)について知る機会。諏訪明神の神霊を降ろす「依り代」が大祝という神職で、選ばれるのは子どもだという。表向きは廃止された制度とされているが、秘事として脈々と受け継がれているようだ。

 

 

祝(ほうり)、神が降りる者

 

――(上のチラシを見ながら…)このチラシ。

 

――諏訪の神様のことについての映画「鹿の国」。

これ、古~~~~い神さん。

あれ、祝(ほうり)がいる。

祝。

諏訪の大祝。

神様が降りてくる者。 

――以前みなさんで諏訪へ行ったじゃない。神長館も行って…。そこの学芸員みたいなおじさんに、今も大祝って居て、そういう力があるんですかって、誰かが聞いたよね? そしたら、いやあ、もうそれはないですよって。言えないよねえ(笑)。

言えないよ。

――大祝っていまだにいるの?

いる!

――表立っているかはわからないけど、絶対にいるよね。

裏に居る。 

―― 一つそういう子供をお祭りの大祝に立てるの? お祭りの時に選ぶのか。

代々だね。

お祭りではいろんなやり方がある。 

――中沢新一さんの本にあったよね。それは子供なんですか?

そう、子供。

7つ前の子ども。

――諏訪は昔は生贄みたいにしたみたいだよ。子供を。殺しはしたのかは知らないけど。それが旧約聖書の神様に息子を捧げろって言われて、という話(イサクの燔祭(はんさい)、アブラハムの信仰心を試すために一人息子を捧げるように神に命じられる話)。そういう流れと似ているよって言われていたね。

全然関係ないけどね。

――あとからそういう話をくっつけたのかもね。ミシャグチ(諏訪地域で祀られる神霊)とか。

――ミシャグチの意味が分からない。

蛇!

――巳(み)、だから蛇なんだ。それで、地底人(笑)

地底人ではないけどね(笑)。

え~っと表現は難しい。

――諏訪の前宮から少し下がったところに立て看板があり、御室神事、穴を掘ってそこに何か月か冬の間こもって神事をするってあった。室町時代まではやっていたと。

まあ、祝、とか大祝とかはいまだにあるけどね。

(つぶ)そうと思ってもつぶせないものだから。

大和の前からあるものだから。

――形が残っていれば、繋がっていくじゃないですか。

要するに、思いと、理(ことわり)と、かたちがあればいいだけ。

そこに「場」ができるから。

――さっきの子どもを選ぶのって?

神さんが選ぶ。

――この子だって?

それは人同士で探して、物を見せたりしてこの子は誰それの生まれ変わりだって特定することでしょ。

――それは、ダライ・ラマもやるんですよ、ダライ・ラマの生まれ変わりを探す時に、亡くなったダライ・ラマの持ち物をいくつかの物に混ぜて見せて、当てさせるの。

あれは、輪廻転生でしょ、大祝と祝は違う。

神の降ろしであって、そこで神は生まれないから。 

――依り代になるかならないかだね。

神は、生まれないんだ。

もともとそこにあるんだ。その場を作る。

(下に続く)

ゆえに神に選ばれたものは、3日間夢を見るはずだから。

祝、大祝の場合は。

ただし、大祝の場合は、家系とかそういうものよりも、霊筋といってそこの中で。

だから血がつながっているかどうかは別なんだ。

感覚、感性、それから器、というものを、そこで見定められたものが、ある特定の場所に集められて、養育を受ける。

――まあ、そうじゃないと、おかしなのが来てもしょうがないしねえ(笑)。

ある部分、知らない者から見たら、ハテナマーク(?)かもしれない。

血ではないから。 

――歌舞伎みたいに、世襲っていうわけではないし。

――それがまだ続いているですね?

続いている、続いている。

めちゃくちゃ続いている。

――そうじゃないと、神社が維持できてないよ。

そうじゃなければ、この国は、なくなるでしょ。

――え!

欲しくてしょうがないんだから、外様(とざま)は。

人間も、そうでないものも。土地が良いからね。

――そうでしょうねえ。で、なんとしても、私は軍隊のお力にはならないけど、神様のお力にはなりたい。何度も言うようだけど、以前中沢新一さんが、日本の神様がみんな活性化したら、軍事力より強い防衛になるって。講演会の間のおしゃべりするときに、ポロっと言ってたのが凄く印象にある。

だから活性化しないんだよ。人間がね。

主要なところは強くはするけど、あんまり強くすると、外ざまが来られないから。

――外様を呼びたい奴がいるの?

いや、外交の問題があるんでしょ~。 

 

大人と子供の中間層

 

――大祝っていうのは、大きな神社の、なんですか?

――いや、有名なのは諏訪だけの話じゃないかな。後はあるかもしれないけど知らないです。

というのは、子供。

大祝というのは、子供と中間層の二人、大人にも子供にもならない者、二人。

審神者(さにわ)が二人。

――出雲の美保神社で,青柴垣神事でもひと月くらい潔斎(けっさい)して神様を降ろす役の人がいるって聞いた。かなり特殊な神事で、なかなか伝えていくのが大変だって。

降ろせる者(もの)、器(うつわ)が、少ない。

それは土地の神事もあるけれども、食べ物、思い、っていうものが変わってきたせいもあるかもしれない。

――肉とか食べないで一か月くらい潔斎してって。

それだけでは済まないでしょ。 

――それはそうだろうね、知らないだけで。

知らないということは「ない」のと一緒ということが多いからね。

――降ろすのは、メッセージみたいなものなんですかね、それとも…?

メッセージではなくて、その時に伝えるべきもの。

――たぶんお祭りの時にそういう降りた人が中心でやらないと、お祭りにならないんじゃないかな。儀式にならないんだ。

――伊雑宮(伊勢)の御神田で行われる、田植えのお祭りでも小学生くらいの男の子が中心になっていたよ。2年くらい前に見に行ったけど。お化粧して赤い綺麗な着物着て…。

――その子に降りるの?

――たぶんその子が神様だ、ってするんじゃないかな。

神様が降りるのではなくて、そこの中心、芯になる。

降りるのは、裏!

だから、大祝は、審神者がいて、審神者をちゃんと見る人もいて。

そこに大人でも子供でもない年齢の者がいる。

もしくは一つの大人がやる場合もある。儀式で。

(2025年2月)

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