自然との対話

岩や石も記憶をもっているというと信じられない人がほとんどだと思うが、私たちがよく使っているUSBメモリーやSDカードといった類のものも「記憶」をもたせているわけである。

巫女さんの役割

―大祓いの祝詞(のりと)の中に、木や草、岩が話をしていた、とある。また、クリスタルもメッセージを持っているのかという話もあったよ。

自然の石とか山とか湖。湖の対象は龍神とか蛇神、田んぼは水を引くから神様がいるとか、それを感知、共振できる巫女(みこ)さんがいた。今でも「共感覚」の残っている人がいるけど。 

昔は鳥居とか神社がなくても、強い磁場のところとか、みんながなんだかわからないけれど、平伏(ひれふ)してしまう綺麗なところとか、そういうところを神様が集うんだなと、禁忌(きんき)にして守ってきた人たちがいた。巫女さんや、隠れ巫女と言って何かあると代表で告げる人たち(がいる) 

例えば、石の巫女とか、水の巫女とか、得意な分野があった。植物に精通する者。これはのちに富山の薬売りになっていたりする薬草に精通する者、毒のあるものに精通する者。昔は薬学は毒学だったから。毒草を見分けたり、毒を薬にもするような。

そういう個々の役割の巫女さんの取りまとめをしていたのが、村の長や、山の民の一族なんだ。それは役に立つので管理を引き受けたのが、のちの天皇になるような一族だった。いろんなことを把握したかったから。

能力者だと、アテルイは月の満ち欠けを見ながらバイオリズムを見ていた一族。月の一族は土着民に近くて、シャーマンをやっていた。口寄せ、霊寄せ、霊はずしをやっていた。星を見ていた一族は今でいう占い師みたいなことをしていたんだ。

 

喋る木々や石

―昔の人は、木や石が喋っているのはわかっていたと思う。

わかっていた。今も喋っている。一部の人たちは今もわかっている。でも、今はほとんどの人が退化していった。人にとっての興味とか、知るということ、教えるということが目に見えることになっていったからだと思う。そのほうが統治しやすかったから。そういうことを分かっているのは上の方の人たちだけでいい、となった。歴史は勝った者が書いてきた。負けたものが書いたものには真実が隠されていた。残酷ではあるけど史実に近い。 

今、先祖返りではないが、そういう能力が特化している子供たちが生まれてきている。でも親がそうではないからわからない。そういう子供の人数が増えれば、周りは何も言えなくなる。でもそれまでは能力を眠らせておこうとする人も出てきている。

―中国で気功の先生と行った山は、お寺が集まる気の強いところで、そこの木や岩は何かアピールがあるような感じがした。話しているのはわからないけど(笑)木はわかるような気がするけど。石は静かだよね。

石は持っていると手から離れがたいとか、温かいとか冷たいというのは石からのメッセージだ。(例えば)クリスタルはエネルギーを貯める、放出する、電池みたいな役割だ。

―レムリア(=太平洋にあったとされる超古代文明)の話も聞いてみたいな。

(私の前世の中で)レムリアでは捕らえられていたんで。水に沈んだので水が怖いんだよ。

―石はやたらに(外から家に)持ってきてはいけないって言っていましたよね。

クリスタルは電池みたいだけれど、普通の石は人の記憶が残る。ぎゅっと握ったまま死んだとかするとその思いが残る。昔は戦いが多かったから、それを記憶していてもおかしくない。ビデオみたいなもの。石に残る思いが強いと影響を受ける。また、聖地や神社でも、願いが叶うからと持っていっていいものもあるけれど、それ以外の場所は、持っていくと神様が見ていたり、石も帰りたがる。

―沖ノ島(福岡県宗像市、宗像大社の神領)は石一つ持って帰ってはいけないって言われている。

神社だけでなく、自然の中、木、葉っぱ、土、など、持っていくときは、持っていかせて下さい、とご挨拶する(ことだ)。その場所の土地神に。

―よく、水辺でおぼれた人の霊がついている石を持ってきてしまうとか…。

あるあるある。そういう人が憑っつかれて困っているときに、その石をぽ~~んって海とかに投げて、終わり! () そういうことも(仕事で)やる。

でも、それはその行為を見せることによって、(その人から霊が)外れるんだよ。

たかだか300年ぐらい前には、合戦とかあったわけだから。石は500年単位でそこに残っているし、上書きはされるかもしれないけど、強い思いなら残っているかも。

―石が話すというのは、そこについた人の念が話すのか、石自体が話すのかな?

石に(人の思いや霊が)憑りついていれば、石は半分眠らされている状態。憑りついていない石や岩はもちろん話すよ。

石は分子や原子がぶつかってできていてる。その中で振動、音、電気質がある。そして言葉を話すには意思がないと話せないよね。岩、石には思いはある。人とは違う緩やかな思いがある。平和的なんだよ、彼らは。

―人の思いのような瞬間的な想いではなく、緩やかな想いで種類が違うんだ。木や花もそうだろう。

例えば4000年、5000年生きている木や石があります。その木に生き物の死や生を見てきたんだよね、と問うと、私には死とか生とかはわかりませんと言うよ。ここに集うものが笑顔で安心できればいいと思っている、と言うよ。そういう感覚なんだよ。いっぱいいろんなものを微笑んで見ているって感じだ。時間が違うんだ。人間が蟻んこなら、木や岩は象なんだ。

―中国の山で、若い木は子供みたいに元気に「見て、見て」って言っているような気がした。これはあくまで私がそんな気がしたってだけだけど。

それは山だけの感覚ではなくて、木とか石とかそこにあるものが存在を示しているだけで、それを敏感に感じているだけ。昔の人も敏感に感じたところが神社や仏閣にしている。そこを守りたいという思いがあったんだ。

 

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