武術(2)

武術(1)の続き

―伊雑宮のある磯部(三重県志摩市町磯部)は小泉太志命(参考サイト)がいたようなところだから、こういうものが伝わっていたのかしら。

そういう人に出会う確率の高い場所だってことじゃないの。磯部は。

―今はそういう武術というか、所作は残っていないのかな。

古武術に少し残っているのと、沖縄の武術で踊りながら円を描いて相手の力をそのまま返すようなものとか。沖縄には達人のおじいさんがいるんだ。生きてるかどうかわからないけど。琉球の王族を守る為に能力者と武術者がいた。気を高めながら円になると外にエネルギーが行く。相手の力で返せる。それが発達していっていろいろな武術になっている。

―整体のところで北辰一刀流の殺法ではなく、活法のやり方で身体の2か所の点をそっと触られただけで身体がふう~っと緩んだ。

昔からあるものだけれど、表に出さない。戦時中とかに外国、アメリカとかが来た時に、(武術を)活かす者は殺すこともできるとても強いものだから、囲おうとされないように、名前を変えてやり方を変えて見せ方を変えていった。だから流派がいっぱいある。

新体道の青木先生なんかもそうだね。武術にしても何にしても言葉は違うけれど、気とかエネルギーとか意念とか絶対にある。

体の中の静電気が元。帯電しているエネルギーを大きくしたり、鎮めたりして使えるのではないか、から始まった。それを「つながる」ということで見えないものを見えるようにすると、霊能力者とか、感知能力とか占い師になる。また、武術、古武術で気を高める、生命エネルギーを高めるとなると、そっちの方になる。同じことだ。

―結局、芸術でもそういうものと繋がっているのとそうでないのでは全然違う。全部そこになる。同じことだ。

そう、芸術は直観力になるでしょ。それはエネルギーの中から沸く。科学的に分析もできるし、科学的に扱うこともできる。結局電力だし、例えばコイルだ。雷を発生させるものもある。

―人間の意識でそれを使うことができるということだね。

脳の中だけ出なくて身体全体だ。どこからエネルギーが出やすいかだ。科学的に解明できるんだ。ただ見えないから説明しにくい。遠く離れたところとの意思の疎通を図る能力を高めた者もいれば、手当て(治療)として悪いところを治すこともできる。

―そういうことなら、例えば、剣道というカテゴリー自体がナンセンスかな。

ただ人間がこの所作(しょさ)だとこういう名前(=剣道)になるよってだけ。意識がその所作に合うようになる。意識が合うということがその所作ができることになる。どこに自分が集中するかだ。とても興味深い。

―だから合気道の開祖の植芝盛平が鉄砲の玉を取ったとかいう逸話がある。

そうそう、できる。軌道がわかればできるはず。取れるし、避けられる。相手を傷つけずに活かす武術があったのに、今は相手を徹底的に壊す武術がはやっている。人が何に熱狂して、何を感じるのかだ。「はやる」というのは。

―本当の武術の達人は相手に攻撃もさせないっていう。

踏み込んだ瞬間にこれは違う、という風に思わせられれば。相手を飲み込むっていうか。場が「私」の場になれば、相手が動けない。

―生まれた時からの特殊能力ではなく、武術を極めた人たちってそういう能力を高めているよ。

武術者同士はちょっと見ただけで(相手の実力が)わかるじゃない。ちょっと見合って、挨拶して下がったほうが負けだ。私にとってはへたに勝負をする必要もない、怒る必要もない。正当とか、正当ではないとか、正義とか悪とかは、一人一人が考えて、一人一人の中で正義とか悪とかを見つめればいいだけだ。戦時中の正義とか悪とかとは今は全く違う。変わってしまうからね。

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