選択と自己責任ーオリンピックを迎えて

コロナの感染拡大から今のオリンピック開催への流れ。「われわれさん」を含めた地球のエネルギーの存在はこの状況をどう見ているだろう。すべては私たちの人間の選択と自己責任に帰する。

――いくつか突っ込みたいことがあって、「われわれさん」がどう見ているかというところからもう一歩踏み込んで、日本の大神様、精霊さんたちはどう見ているのか。動いていらっしゃるよね。

動いている。すっごく動いている。そして涙を流していらっしゃる。

誰もが、誰かが亡くなっていいわけではないし、それは土地であれ、人であれ、物であれ。

みんな大神様から見たら子供たちなんだよね。子供を亡くしたり、奪われたりして喜ぶやつはいないよ。

――誘導しても引っかかってくれないだろうけど、やはりオリンピックをやるということについてはまあ、是非ともやりたいっていう意見ではないよね?

どちらでも。「選択」だから。

(でも)結果は受け取りなさいよ。選択肢はあなた方にあるんですよって。どんな選択でも。

――う―~ん、そういう風に言われるのはわかってて聞いたんだけど。(オリンピックを)やるという中でもやり方はありますよね。

そういうこと。伝え方、やり方、整備の仕方。

でもそんなに頭よくないからね。それをやろうとしても。自分の立場がよければいい人たちがいるから。

誰かが何かをやってくれると考えることは、幻想だね。

――なるほど。誰かが守ってくれるとか。

そう。ただし、自己責任とは言ったとしても、その自己責任を「みんなと共に」の自己責任にすればいいんだよ。

――逆によく言うように、全体責任ってなっちゃうと…。

いいや。全体責任ではなくて自己責任。

――つまり、個々の自己の責任が全体になるってことか。

そうそう。それは最初の全体責任、連帯責任とは違う。一人がやったらやってない人までっていうのではなく。周りが手を差し伸べて、私は何ができる、あなたは何ができる、どう行動して、どう行動しなければ、どうなるって。みんなで提案すればいいだけだ。

――ただね、すごく残念なことに、人類って、特に日本人は同調圧力に弱いんで、そこまで自分で、ってできるかな。

だから今、そういう部分の物事が見えやすいように出てきているんだよ。

――それでも流れる人は流れるし。

それでいい。

――さっき、今どうしていいかわからないという話になったんだけど、よく考えてみれば自分の立場で自分の本質でどうするかと決めるしかないね。

そう、それだけでいい、決めるだけでいい。決めれば周りとか、自分の見る目が変わるから。それも早まっている、早くなっている。

答えが出るわけではないけれど、あ、こういう形なんだってわかる事柄が目に見えて出てきているから。何を選択をするか。

―-今まで何も考えずにいれば良かったのが、一つ一つどうするか突きつけられるような。

そう、そして、どちらを選んでも、間違いはない。どちらを選んでも悪くはない。

そのための行動と責任があるだけ。

――例えばね、私はこれを選びましょう、その選んだ責任もあるし、結果も引き受けましょう、私はなんでそれを選ぶかというと、その選んだ先がこうなるんじゃないか、こうなる方がいいんじゃないか、そこまで見て選びたいわけだよね。

だから、それでいいじゃない。それが見やすいように今いろんな人間にとって悪いと思うことも、いいと思うものも、出てきて見やすくなったでしょ。それはあなたがたが、それを見やすくしたいといった選択をしたから、見やすくなったでしょ。

――この混乱は私たちが選んだのかい?

そうだよ。

――今日しみじみと朝の情報番組の馬鹿馬鹿しさを見て、実は江戸から明治になるくらいの大変革期だってずっと言っていたことが、実感として少し感じた気がした。

時代が終わる、または時代が始まる、新しい感覚も含めて、そういう時はこんな感じになるものだ。

(2021年5月)

 

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