適材適所とは?
――今年(2026年)は丙午の年だと話していたメッセージに続く。
そうだね。それぞれが動けるような一年だと思う。
自分のところ、自分の中、自分が動く、又は動かない、選べる、ということの観点も含めて、自分個人の一年だと思って構わない。それぞれの動き方でいいし、「動かない」という選択も含めて。
――なるほど。あまり周囲の眼を気にせずに。
周りを見た時に面白い反応があったら、便乗すればいい。
――適材適所という言葉は結構よく出てきますね。キーワードですね。でも実際は難しいかも。
はまって気持ちいい時に、適材適所なんだよ。それがすごく優れてできるとか、できないとかではなくて。
経験の中ではまって楽しく、不器用でもいいよ、できている、または嬉しく思える。
――どうしても仕事の上でって考えちゃうけど、そうではないんですね。
――適材適所を、この人はこの能力を発揮できる、みたいに思うから難しくなる。
それもひとつあるけど、そうではなくてね。笑顔でやるときには効率もよくなる。
それは人にとって、ではなくて、自分にとって。個人が生かされる一年だと思う。気づいた人からね。自分たちの存在そのものが「促し」にすることもできる、他の人の。
そして、他の人が動いているのを楽しそうに見るのもよし、共にやるのも、よい。
個人個人だから、動きが変わっていてもよいわけ。一緒じゃなくてもいいの。
そうすると古いものも新しいものも同時進行で感じることができるじゃない。
社会でなく自己責任の時代
――個人個人というのと、今言った表現の逆、そうではない状態っていうのは、他者、他人、社会から要求するものを自分が行うというようなことですか?
何を「社会」と認めるか?
動かず、考えず、答えだけを求め、という時代は、終わった。
それでもいいよ、ただし、動かない。動きたくないなら動かなくていい、動かない結果が出る。それだけのこと。
――それを選んだ責任。そして結果も見えやすくなってくるということですね?
もちろん。それが嫌なら動けばいいし、面白いことにいろいろな事柄が出た時にこの人が悪かったからとか、この人がこうだったからという言い訳もしずらくなってきている。
一蓮托生ではなく。ここはとても強く責任があるよね、でもここの責任はここの人の責任だよねという見方に変わってきているはずだよ。
――よく言っている、最終的には人のせいではなくて、自分がどうしたのかってことだよね。何を選んだのかっていう…。
そう。だから宗教が成り立たなくなるような出来事もいろいろ出てくるだろうね。
――とても極端に言うと、事故現場にいてしまったのも自己責任ってことになるんですかね?
もちろん。例えば地震、ベネズエラの地震(2026年6月末)でも、なぜその時間にその人はそこに居たのか、助かる人というのはその前日にそこからいなくなるからね。それも不可抗力で。
だからそういう視点から見ると、決して無駄なことはない。
――なかなか一般的にはそれは言いにくいけどね。でも、淡々とそういう見方もできるということですね。
「名称」が大事
まだ、「死」は限られたもので、狭いもので、終わるもの、と認識している人が多いからね。
時が進んでいけば、そこも認識が変わっていくんだと思う。それは外ざまの人であれ、ここの内の日本の人であれ。
その時に名称というのが大事になってくる。
日本が今、日本と認識されているように。個人の認識かもしれない、会社、社会の認識かもしれない、世界の認識かもしれない、だから個人個人で見せたい自分、そういう部分を模索しても面白いかもしれない。
私はこういう特徴があるよって。
――芸名みたいな?
それでもかまわない。自分で名前を付けていれば、皆がそれを言えばそのまま真実になる。
それに事実と真実は違うからね。
――事実と真実が違う? 難しいですね。
真実は作れるでしょ? 事実はただ目の前のこと、ここにお茶が入っているという当たり前のこと。
ある程度真実を作ってきたと思われる人物たちの集団のことが好きなのが、あなたでしょ(笑)。
――???
真実を作ってきたと思われる集団、それは良い集団とも悪い集団とも言うけどね。
――そういう支配構造のグループは…。
それを(=真実を作れることを)よく知っているから使っているに過ぎない。
だけれども、周りが知り始めたら、その道具は使えない。しかも新しい道具は構築されない。
――週刊誌報道が嘘ってわかってきました(笑)。
mRNAワクチンはワクチンだったのか?
――mRNAワクチンも「ワクチン」って名称を付けていましたが、ワクチンではなかったかもしれないですよね。それって、ワクチンというイメージを固定しましたよね。人の観念では。
だからワクチンという名前が何なのか、なぜその人を信じえるのか、その人を信じえるというところまでは人は行っていないところで、ワクチンという名前が出てきたでしょ?
よーく見てみると、偉~い人は使ってないから。
――新しいワクチンは、ワクチンではないって言ってるよね。
――ワクチンと呼んだことで、固定された。でも違うと。
中のDNAとかいろいろなものを変容させるための小道具みたいなものかなあ。
――mRNAワクチンは本来はワクチンではない。
そうだし、作り方も違う。本来、人に使うべきものでは、無い。使うことを止めはしないが。選択もまた自由。
面白いことに人というものは、これは気を付けたほうがいいよ、これはこうだよというと、逆にそこに行く愚か者もいるわけだ。
そして、やはり後悔する。
――みんながやっているから、テレビで大丈夫って言ってるからと。
そういう人たちは頭がないでしょ。考えないのだから。
乗っかっていくところをよく心得ないと、泥船かもしれない。それでよければ、よいけどね。
――その判断、感覚的なもの、なんかいやな感じがするっていう直感が大事って言ってるよね。
それでいいよ、それは身体に従うものだから。
――身体って正直なんだよねえ。
直接感じるものだから、直感は。
――どうしても頭が邪魔して…。
頭はストッパーだから。どんな形にせよ、本当に?という疑問符を持っておくといいかもしれない。
そうすると、ひと呼吸おけるでしょ。
――よく言われました。本当にそれでいいの? って。それでいいのよと進んで痛い思いをしたりね。
それでもその経験が必要であるならば、人はその経験を望むでしょう。
――その時に、自分のどこに従うかですよね。自分が生きてきた中ではまあ別にそれでいいじゃないのと、でもどこかで止めているよという感覚と。その鬩ぎ合いをして、痛い思いをする(笑)。
でもそれはとても尊いかもしれない。
真実は作り出せる
だからいろいろな目線で見ると、あれ? これは真実、どれぐらいのパーセンテージで真実なのか? どれくらいのパーセンテージの事実なのか。
事実と真実というのは混ざっていることが多い。
それを見ていくと、近々に気を付けなければいけないこと、全くこれは噂だねという部類のものが見えてくるはずだ。
――真実の定義が難しいのかもしれない。
真実は自分たちで作り出せるよ。情報操作、も真実のうちのひとつだね。
そして、春夏秋冬の中での、はやりすたりもそうだね。それは感情に。
事実は、これはここにある、これはここにない、目で見えたもの。
そこにあるもの、動かせない、これは「事実」だね。
――なるほど、例えば私はこれは真実だといってもRさんはこれは真実だと思わないっていうこと。
そうです。それも踏まえます。自分たちの持っている経験も含めての、見えるものは違うものだから。
自分の正義と人の正義は違うよって。忘れがちだがね。
――同じことね、自分の真実と人の真実は違うってことだ。
その中でも知りたいと思うのか、知らせたいと思うのか。中には知りたくない、知らせたくない、それもありだけどね。
人が人を理解することは、難しい。人に自分を理解させることも、難しい。
だけど、知りたいと思う、知らせたいと思う、そういう部分を取り出すのは、コミュニケーションの中でとても重要だと思う。あの人のことが知りたい。それによって切磋琢磨していろんな経験をするわけだから。
――自分が伝えたいことが伝わる人と、伝わらない人で分けていくよね。
そう、それはそれぞれの人物像でいい。今、理解し得ることを理解して動けばいい。
だからこそ、知っているということが重要な責任問題になる。知らないでやったとしたら、まだ未熟だったんだね、こうなんだよという経験があるだけであって、知っていてやることと、知らないでやることは違う。
幼稚園の子供に本気にはならないでしょ。
――幼稚園の子供みたいな大人もいるよね。
ほとんどが。
――え!
それでも楽しんでいれば成長はできる。成長してきているし。
(2026年6月)
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